ならね」ももう鼻について厭《あ》きて参りました。もう少しです。我慢して下さい。ほんのもう少しですから。

          ※

 次の日のひるすぎ、雨がはれて陽《ひ》が射《さ》しました。ベン蛙とブン蛙とが一緒にカン蛙のうちへやって来ました。
「やあ、今日はおめでたう。お招き通りやって来たよ。」
「うん、ありがたう。」
「ところで式まで大分時間があるだらう。少し歩かうか。散歩すると血色がよくなるぜ。」
「さうだ。では行かう。」
「三人で手をつないでかうね。」ブン蛙とベン蛙とが両方からカン蛙の手を取りました。
「どうも雨あがりの空気は、実にうまいね。」
「うん。さっぱりして気持ちがいゝね。」三疋は萱《かや》の刈跡にやって参りました。
「あゝいゝ景色だ。こゝを通って行かう。」
「おい。こゝはよさうよ。もう帰らうよ。」
「いゝや折角来たんだもの。も少し行かう。そら歩きたまへ。」二疋は両方からぐいぐいカン蛙の手をひっぱって、自分たちも足の痛いのを我慢しながらぐんぐん萱の刈跡をあるきました。
「おい。よさうよ。よして呉れよ。こゝは歩けないよ。あぶないよ。帰らうよ。」
「実にいゝ景色だねえ。も少し急いで行かうか。」と二疋が両方から、まだ破けないカン蛙のゴム靴《ぐつ》を見ながら一緒に云ひました。
「おい。よさうよ。冗談じゃない。よさう。あ痛っ。あぁあ、たうとう穴があいちゃった。」
「どうだ。この空気のうまいこと。」
「おい。帰らうよ。ひっぱらないで呉れよ。」
「実にいゝ景色だねえ。」
「放して呉れ。放して呉れ。放せったら。畜生。」
「おや、君は何かに足をかじられたんだね。そんなにもがかなくてもいゝよ。しっかり押へてるから。」
「放せ、放せ、放せったら、畜生。」
「まだかじってるかい。そいつは大変だ。早く逃げ給へ。走らう。さあ。そら。」
「痛いよ。放せったら放せ。えい畜生。」
「早く、早く。そら、もう大丈夫だ。おや。君の靴《くつ》がぼろぼろだね。どうしたんだらう。」
 実際ゴム靴はもうボロボロになって、カン蛙《がへる》の足からあちこちにちらばって、無くなりました。
 カン蛙は何とも言へないうらめしさうな顔をして、口をむにゃむにゃやりました。実はこれは歯を食ひしばるところなのですが、歯がないのですからむにゃむにゃやるより仕方ないのです。二疋はやっと手をはなして、しきりに両方からお世辞を云ひました。
「君、あんまり力を落さない方がいゝよ。靴なんかもうあったってないったって、お嫁さんは来るんだから。」
「もう時間だらう。帰らう。帰って待ってようか。ね。君。」
 カン蛙はふさぎこみながらしぶしぶあるき出しました。

          ※

 三疋がカン蛙のおうちに着いてから、しばらくたって、ずうっと向ふから、蕗《ふき》の葉をかざしたりがまの穂を立てたりしてお嫁さんの行列がやって参りました。
 だんだん近くになりますと、お父さんにあたるがん郎がへるが、
「こりゃ、むすめ、むこどのはあの三人の中のどれぢゃ。」とルラ蛙をふりかへってたづねました。
 ルラ蛙は、小さな目をパチパチさせました。といふわけは、はじめカン蛙を見たときは、実はゴム靴のほかにはなんにも気を付けませんでしたので、三疋ともはだしでぞろりとならんでゐるのでは実際どうも困ってしまひました。そこで仕方なく、
「もっと向ふへ行かないと、よくわからないわ。」と云ひました。
「さうですとも。間違っては大へんです。よくおちついて。」と仲人《なかうど》のかへるもうしろで云ひました。
 ところがもっと近くによりますと、尚更《なほさら》わからなくなりました。三疋とも口が大きくて、うすぐろくて、眼の出た工合《ぐあひ》も実によく似てゐるのです。これにはいよいよどうも困ってしまったのでした。ところが、そのうちに、一番右はじに居たカン蛙がパクッと口をあけて、一足前に出ておじぎをしました。そこでルラ蛙もやっと安心して、
「あの方よ。」と云ひました。さてそれから式がはじまりました。その式の盛大なこと酒もりの立派なこととても書くのも大へんです。
 とにかく式がすんで、向ふの方はみな引きあげて行きました。その時丁度雲のみねが一番かゞやいて居りました。
「さあ新婚旅行だ。」とベン蛙が云ひました。
「僕たちはぢきそこまで見送らう。」ブン蛙が云ひました。
 カン蛙《がへる》も仕方なく、ルラ蛙もつれて、新婚旅行に出かけました。そしてたちまちあの木の葉をかぶせた杭《くひ》あとに来たのです。ブン蛙とベン蛙が、
「あゝ、こゝはみちが悪い。おむこさん。手を引いてあげよう。」と云ひながら、カン蛙が急いでちゞめる間もなく、両方から手をとって、自分たちは穴の両側を歩きながら無理にカン蛙を穴の上にひっぱり出しました。するとカン蛙の載った木の葉がガサリと鳴り、カン蛙はふらふらっと一寸ばかりめり込みました。ブン蛙とベン蛙がくるりと外の方を向いて逃げようとしましたが、カン蛙がピタリと両方共とりついてしまひましたので二疋のふんばった足がぷるぷるっとけいれんし、そのつぎにはたうとう「ポトン、バチャン。」
 三疋とも、杭穴の底の泥水の中に陥《お》ちてしまひました。上を見ると、まるで小さな円い空が見えるだけ、かゞやく雲の峯は一寸《ちょっと》のぞいて居りますが、蛙たちはもういくらもがいてもとりつくものもありませんでした。
 そこでルラ蛙はもう昔習った六百|米《メートル》の奥の手を出して一目散にお父さんのところへ走って行きました。するとお父さんたちはお酒に酔ってゐてみんなぐうぐう睡《ねむ》ってゐていくら起しても起きませんでした。そこでルラ蛙はまたもとのところへ走って来てまはりをぐるぐるぐるぐるまはって泣きました。
 そのうちだんだん夜になりました。
    パチャパチャパチャパチャ。
 ルラ蛙はまたお父さんのところへ行きました。
 いくら起しても起きませんでした。
 夜があけました。
    パチャパチャパチャパチャ。
 ルラ蛙はまたお父さんのところへ行きました。
 いくら起しても起きませんでした。
 日が暮れました。雲のみねの頭。
    パチャパチャパチャパチャ。
 ルラ蛙はまたお父さんのところへ行きました。
 いくら起しても起きませんでした。
 夜が明けました。
    パチャパチャパチヤパチャ。
 雲のみね。ペネタ形。
 ちゃうどこのときお父さんの蛙はやっと眼がさめてルラ蛙がどうなったか見ようと思って出掛けて来ました。
 するとそこにはルラ蛙《がへる》がつかれてまっ青になって腕を胸に組んで座ったまゝ睡《ねむ》ってゐました。
「おいどうしたのか。おい。」
「あらお父さん、三人この中へおっこってゐるわ。もう死んだかもしれないわ」
 お父さんの蛙は落ちないやうに気をつけながら耳を穴の口へつけて音をききましたら、かすかにぴちゃといふ音がしました。
「占めた」と叫んでお父さんは急いで帰って仲間の蛙をみんなつれて来ました。そして林の中からひかげのかつらをとって来てそれを穴の中につるして、たうとう一ぴきづつ穴からひきあげました。
 三疋とももう白い腹を上へ向けて眼はつぶって口も堅くしめて半分死んでゐました。
 みんなでごまざいの毛をとって来てこすってやったりいろいろしてやっと助けました。
 そこでカン蛙ははじめてルラ蛙といっしょになりほかの蛙も大へんそれからは心を改めてみんなよく働くやうになりました。



底本:「新修宮沢賢治全集 第十一巻」筑摩書房
   1979(昭和54)年11月15日初版第1刷発行
   1983(昭和58)年12月20日初版第5刷発行
※底本は旧仮名ですが、拗促音は小書きされています。これにならい、ルビの拗促音も、小書きにしました。
入力:林 幸雄
校正:土屋隆
2008年2月27日作成
2008年11月30日修正
青空文庫作成ファイル:
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