層が釣合がとれない為に起るって云ったさうですがね、誰《たれ》もあんまりほんとにはしませんや。」
「なるほど。」
 汽車が、藤根《ふぢね》の停車場に近くなりました。
 工夫の人は立って、棚《たな》から帽子をとり、道具を入れた布の袋を持って、扉《と》の掛金を外して停《と》まるのを待ってゐました。
「こゝでお下りになるんですか。いろいろどうもありがたう。私は斯《か》う云ふもんです。」
と云ひながら、私は処書《ところがき》のある名刺を出しました。
「さうですか。私は名刺を持って来ませんで。」その人は云ひながら、私の名刺を腹掛のかくしに入れました。汽車がとまりました。
「さよなら。」すばやくその人は飛び下りました。
「さよなら。」私は見送りました。その人は道具を肩にかけ改札の方へ行かず、すぐに線路を来た方に戻りました。その線路は、青い稲の田の中に白く光ってゐました。そらでは風も静まったらしく、大したあらしにもならないでそのまゝ霽《は》れるやうに見えたのです。



底本:「新修宮沢賢治全集 第十四巻」筑摩書房
   1980(昭和55)年5月15日初版第1刷発行
   1983(昭和58)年1月
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