井沼の岸では、稲がもう四日も泥水を被《かぶ》ってゐる、どうしても今年はあの辺は半作だらうと又誰か言ってゐました。
 ところが私のうしろの席で、突然太い強い声がしました。
「雫石《しづくいし》、橋場間、まるで滅茶苦茶だ。レールが四間も突き出されてゐる。枕木《まくらぎ》も何もでこぼこだ。十日や十五日でぁ、一寸《ちょっと》六《むつ》ヶ敷《し》ぃな。」
 ははあ、あの化物丁場だな、私は思ひながら、急いでそっちを振り向きました。その人は線路工夫の半纒《はんてん》を着て、鍔《つば》の広い麦藁《むぎわら》帽を、上の棚《たな》に載せながら、誰に云《い》ふとなく大きな声でさう言ってゐたのです。
「あゝ、あの化物丁場ですか、壊れたのは。」私は頭を半分そっちへ向けて、笑ひながら尋ねました。鉄道工夫の人はちらっと私を見てすぐ笑ひました。
「さうです。どうして知ってゐますか。」少し改った兵隊口調で尋ねました。
「はあ、なあに、あの頃《ころ》一寸あすこらを歩いたもんですから。今度は大分ひどくやられましたか。」
「やられました。」その人はやっと席へ腰をおろしながら答へました。
「やっぱり今でも化物だって云ひますか。
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