ったのです。砂利を運ぶ手数がなかったものですから。その代り乱杭《らんぐひ》を二三十本打ちこみましたがね、昼になってその崩れた工合《ぐあひ》を見ましたらまるでまん中から裂けたやうなあんばいだったのです。県からも人が来てしきりに見てゐましたがね、どうもその理由がよくわからなかったやうでした。それでも四日でとにかくもとの通り出来あがったんです。その出来あがった晩は、私たちは十六人、たき火を三つ焚《た》いて番をしてゐました。尤《もっと》も番をするったって何をめあてって云ふこともなし、変なもんでしたが、酒を呑《の》んで騒いでゐましたから、大して淋《さび》しいことはありませんでした。それに五日の月もありましたしね。たゞ寒いのには閉口しましたよ。それでも夜中になって月も沈み話がとぎれるとしいんとなるんですね、遠くで川がざあと流れる音ばかり、俄に気味が悪くなることもありました。それでもたうとう朝までなんにも起らなかったんです。次の晩も外の組が十五人ばかり番しましたがやっぱり何もありませんでした。そこで工事はだんだん延びて行って、尤《もっと》もそこをやってゐるうちに向ふの別の丁場では別の組がどんどんやってゐましたからね、レールだけは敷かなくてもまあ敷地だけは橋場に届いたんです。そのうちたうとう十二月に入ったでせう。雪も二遍か降りました。降っても又すぐ消えたんです。ところが、十二月の十日でしたが、まるで春降るやうなポシャポシャ雨が、半日ばかり降ったんです。なあに河の水が出るでもなし、ほんの土をしめらしただけですよ。それでゐて、その夕方に又あの丁場がざあっと来たもんです。折角入れた乱杭もあっちへ向いたりこっちへまがったりです。もうこの時はみんなすっかり気落ちしました。それでも又かといふやうな気分で前の時ぐらゐではなかったのです。その時はもうだんだん仕事が少くなって、又来春といふ約束で人夫もどんどん雫石《しづくいし》から盛岡《もりをか》をかかって帰って行ったあとでしたし、第一これから仕事なかばでいつ深い雪がやって来るかわからなかったんですから何だか仕事するっても張りがありませんや。それでも云ひつけられた通り私たちはみんな、さう、みんなで五十人も居たでせうか、あちこちの丁場から集めたんです。崩れた処を掘り起す、それからトロで河原へも行きましたが次の日などは砂利が凍ってもう鶴嘴《つるはし》が立
前へ
次へ
全7ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング