いいよ。入ろう。』
とネリに云った。
 ネリは悦《よろこ》んで飛びあがり、二人は手をつないで木戸口に来たんだ。ペムペルはだまって二つのトマトを出したんだ。
 番人は『ええ、いらっしゃい。』と言いながら、トマトを受けとり、それから変な顔をした。
 しばらくそれを見つめていた。
 それから俄《にわ》かに顔が歪《ゆが》んでどなり出した。
『何だ。この餓鬼《がき》め。人をばかにしやがるな。トマト二つで、この大入の中へ汝《おまえ》たちを押《お》し込《こ》んでやってたまるか。失《う》せやがれ、畜生《ちくしょう》。』
 そしてトマトを投げつけた。あの黄のトマトをなげつけたんだ。その一つはひどくネリの耳にあたり、ネリはわっと泣き出し、みんなはどっと笑ったんだ。ペムペルはすばやくネリをさらうように抱《だ》いて、そこを遁《に》げ出した。
 みんなの笑い声が波のように聞えた。
 まっくらな丘の間まで遁げて来たとき、ペムペルも俄かに高く泣き出した。ああいうかなしいことを、お前はきっと知らないよ。
 それから二人はだまってだまってときどきしくりあげながら、ひるの象について来たみちを戻《もど》った。
 それからペムペルは、にぎりこぶしを握りながら、ネリは時々|唾《つば》をのみながら、樺の木の生えたまっ黒な小山を越《こ》えて、二人はおうちに帰ったんだ。ああかあいそうだよ。ほんとうにかあいそうだ。わかったかい。じゃさよなら、私はもうはなせない。じいさんを呼んで来ちゃいけないよ。さよなら。」
 斯《こ》う云ってしまうと蜂雀《はちすずめ》の細い嘴《くちばし》は、また尖《とが》ってじっと閉じてしまい、その眼は向うの四十雀《しじゅうから》をだまって見ていたのです。
 私も大へんかなしくなって
「じゃ蜂雀。さようなら。僕又来るよ。けれどお前が何か云いたかったら云ってお呉《く》れ。さよなら、ありがとうよ。蜂雀、ありがとうよ。」
と云いながら、鞄《かばん》をそっと取りあげて、その茶いろガラスのかけらの中のような室《へや》を、しずかに廊下《ろうか》へ出たのです。そして俄かにあんまりの明るさと、あの兄妹のかあいそうなのとに、眼がチクチクッと痛み、涙《なみだ》がぼろぼろこぼれたのです。
 私のまだまるで小さかったときのことです。



底本:「新編 銀河鉄道の夜」新潮文庫、新潮社
   1989(平成元)年6月15日発行
   1994(平成6)年6月5日13刷
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2005年3月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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