して舞台へおあがりになったのかな。」
ネネムはその顔をじっと見ました。それこそはあの飢饉《ききん》の年マミミをさらった黒い男でした。
「黙《だま》れ。忘れたか。おれはあの飢饉の年の森の中の子供だぞ。そしておれは今は世界裁判長だぞ。」
「それは大へんよろしい。それだからわしもあの時男の子は強いし大丈夫《だいじょうぶ》だと云ったのだ。女の子の方は見ろ。この位立派になっている。もうスタアと云うものになってるぞ。お前も裁判長ならよく裁判して礼をよこせ。」
「しかしお前は何故《なぜ》しんこ細工を興業するか。」
「いや。いやいややや。それは実に野蛮《やばん》の遺風だな。この世界がまだなめくじでできていたころの遺風だ。」
「するとお前の処《ところ》じゃしんこ細工の興業はやらんな。」
「勿論《もちろん》さ。おれのとこのはみんな美学にかなっている。」
「いや。お前は偉《えら》い。それではマミミを返して呉れ。」
「いいとも。連れて行きなさい。けれども本人が望みならまた寄越《よこ》して呉れ。」
「うん。」
どうです。とうとうこんな変なことになりました。これというのもテジマアのばけもの格[#「ばけもの格」に傍線]が高いからです。
とにかくそこでペンネンネンネンネン・ネネムはすっかり安心しました。
五、ペンネンネンネンネン・ネネムの出現
ペンネンネンネンネン・ネネムは独立もしましたし、立身もしましたし、巡視《じゅんし》もしましたし、すっかり安心もしましたから、だんだんからだも肥《ふと》り声も大へん重くなりました。
大抵の裁判はネネムが出て行って、どしりと椅子《いす》にすわって物を云おうと一寸|唇《くちびる》をうごかしますと、もうちゃんときまってしまうのでした。
さて、ある日曜日、ペンネンネンネンネン・ネネムは三十人の部下をつれて、銀色の袍《ほう》をひるがえしながら丘へ行きました。
クラレという百合《ゆり》のような花が、まっ白にまぶしく光って、丘にもはざまにもいちめん咲いて居りました。ネネムは草に座って、つくづくとまっ青な空を見あげました。
部下の判事や検事たちが、その両側からぐるっと環《わ》になってならびました。
「どうだい。いい天気じゃないか。
ここへ来て見るとわれわれの世界もずいぶんしずかだね。」ネネムが云いました。
みんなの影法師《かげぼうし》が草にまっ黒に落ちました。
「ちかごろは噴火《ふんか》もありませんし、地震《じしん》もありませんし、どうも空は青い一方ですな。」
判事たちの中で一番位の高いまっ赤な、ばけものが云いました。
「そうだね全くそうだ。しかし昨日サンムトリが大分鳴ったそうじゃないか。」
「ええ新報に出て居りました。サンムトリというのはあれですか。」
二番目にえらい判事が向うの青く光る三角な山を指しました。
「うん。そうさ。僕《ぼく》の計算によると、どうしても近いうちに噴《ふ》き出さないといかんのだがな。何せ、サンムトリの底の瓦斯《ガス》の圧力が九十億気圧以上になってるんだ。それにサンムトリの一番弱い所は、八十億気圧にしか耐《た》えない筈《はず》なんだ。それに噴火をやらんというのはおかしいじゃないか。僕の計算にまちがいがあるとはどうもそう思えんね。」
「ええ。」
上席判事やみんなが一緒《いっしょ》にうなずきました。その時向うのサンムトリの青い光がぐらぐらっとゆれました。それからよこの方へ少しまがったように見えましたが、忽《たちま》ち山が水瓜《すいか》を割ったようにまっ二つに開き、黄色や褐色《かっしょく》の煙《けむり》がぷうっと高く高く噴きあげました。
それから黄金《きん》色の熔岩《ようがん》がきらきらきらと流れ出して見る間にずっと扇形《おうぎがた》にひろがりました。見ていたものは
「ああやったやった。」
とそっちに手を延して高く叫びました。
「やったやった。とうとう噴いた。」
とペンネンネンネンネン・ネネムはけだかい紺青《こんじょう》色にかがやいてしずかに云いました。
その時はじめて地面がぐらぐらぐら、波のようにゆれ
「ガーン、ドロドロドロドロドロ、ノンノンノンノン。」と耳もやぶれるばかりの音がやって来ました。それから風がどうっと吹《ふ》いて行って忽ちサンムトリの煙は向うの方へ曲り空はますます青くクラレの花はさんさんとかがやきました。上席判事が云いました。
「裁判長はどうも実に偉い。今や地殻《ちかく》までが裁判長の神聖な裁断に服するのだ。」
二番目の判事が云いました。
「実にペンネンネンネンネン・ネネム裁判長は超怪《ちょうかい》である。私はニイチャの哲学が恐《おそ》らくは裁判長から暗示を受けているものであることを主張する。」
みんなが一度に叫《さけ》びました。
「ブラボオ、ネネム裁判長。ブラボオ、ネネム裁判長。」
ネネムはしずかに笑って居りました。その得意な顔はまるで青空よりもかがやき、上等の瑠璃《るり》よりも冴《さ》えました。そればかりでなく、みんなのブラボオの声は高く天地にひびき、地殻がノンノンノンノンとゆれ、やがてその波がサンムトリに届いたころ、サンムトリがその影響《えいきょう》を受けて火柱高く第二の爆発《ばくはつ》をやりました。
「ガーン、ドロドロドロドロ、ノンノンノンノン。」
それから風がどうっと吹いて行って、火山弾や熱い灰やすべてあぶないものがこの立派なネネムの方に落ちて来ないように山の向うの方へ追い払《はら》ったのでした。ネネムはこの時は正によろこびの絶頂でした。とうとう立ちあがって高く歌いました。
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「おれは昔は森の中の昆布《こんぶ》取り、
その昆布|網《あみ》が空にひろがったとき
風の中のふかやさめがつきあたり
おれの手がぐらぐらとゆれたのだ。
おれはフウフィーヴオ博士の弟子《でし》
博士はおれの出した筆記帳を
あくびと一しょにスポリと呑《の》みこんだ。
それから博士は窓から飛んで出た。
おれはむかし奇術師のテジマアに
おれの妹をさらわれていた。
その奇術師のテジマアのところで
おれの妹はスタアになっていた。
いまではおれは勲章《くんしょう》が百ダアス
藁《わら》のオムレツももうたべあきた。
おれの裁断には地殻も服する
サンムトリさえ西瓜《すいか》のように割れたのだ。」
[#ここで字下げ終わり]
さあ三十人の部下の判事と検事はすっかりつり込まれて一緒に立ち上がって、
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「ブラボオ、ペンネンネンネンネン・ネネム
ブラボオ、ペンペンペンペンペン・ペネム。」
[#ここで字下げ終わり]
と叫びながら踊りはじめました。
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「フィーガロ、フィガロト、フィガロット。」
[#ここで字下げ終わり]
クラレの花がきらきら光り、クラレの茎《くき》がパチンパチンと折れ、みんなの影法師はまるで戦のように乱れて動きました。向うではサンムトリが第三回の爆発をやっています。
「ガアン、ドロドロドロドロ、ノンノンノンノン。」
黄金《きん》の熔岩《ようがん》、まっ黒なけむり。
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「フィーガロ、フィガロト、フィガロット。
ペンネンネンネンネン・ネネム裁判長
その威《い》オキレの金角とならび
まひるクラレの花の丘に立ち
遠い青びかりのサンムトリに命令する。
青びかりの三角のサンムトリが
たちまち火柱を空にささげる。
風が来てクラレの花がひかり
ペンネンネンネンネン・ネネムは高く笑う。
ブラボオ。ペンネンネンネンネン・ネネム
ブラボオ、ペンペンペンペンペン・ペネム。」
[#ここで字下げ終わり]
その時サンムトリが丁度第四回の爆発をやりました。
「ガアン、ドロドロドロドロ、ノンノンノンノンノン。」
ネネムをはじめばけものの検事も判事もみんな夢中《むちゅう》になって歌ってはねて踊《おど》りました。
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「フィーガロ、フィガロト、フィガロット。
風が青ぞらを吼《ほ》えて行けば
そのなごりが地面に下って
クラレの花がさんさんと光り
おれたちの袍《ほう》はひるがえる。
さっきかけて行った風が
いまサンムトリに届いたのだ。
そのまっ黒なけむりの柱が
向うの方に倒《たお》れて行く。
フィーガロ、フィガロト、フィガロット。
ブラボオ、ペンネンネンネンネン・ネネム
ブラボオ、ペンペンペンペンペン・ペネム。
おれたちの叫び声は地面をゆすり
その波は一分に二十五ノット
サンムトリの熱い岩漿《がんしょう》にとどいて
とうとうも一度爆発をやった。
フィーガロ、フィガロト、フィガロット。
フィーガロ、フィガロト、フィガロット。」
[#ここで字下げ終わり]
ネネムは踊ってあばれてどなって笑ってはせまわりました。
その時どうしたはずみか、足が少し悪い方へそれました。
悪い方というのはクラレの花の咲いたばけもの世界の野原の一寸《ちょっと》うしろのあたり、うしろと云うよりは少し前の方でそれは人間の世界なのでした。
「あっ。裁判長がしくじった。」
と誰《たれ》かがけたたましく叫んでいるようでしたが、ネネムはもう頭がカアンと鳴ったまままっ黒なガツガツした岩の上に立っていました。
すぐ前には本当に夢《ゆめ》のような細い細い路《みち》が灰色の苔《こけ》の中をふらふらと通っているのでした。そらがまっ白でずうっと高く、うしろの方はけわしい坂で、それも間もなくいちめんのまっ白な雲の中に消えていました。
どこにたった今歌っていたあのばけもの世界のクラレの花の咲いた野原があったでしょう。実にそれはネパールの国からチベットへ入る峠《とうげ》の頂だったのです。
ネネムのすぐ前に三本の竿《さお》が立ってその上に細長い紐《ひも》のようなぼろ切れが沢山《たくさん》結び付けられ、風にパタパタパタパタ鳴っていました。
ネネムはそれを見て思わずぞっとしました。
それこそはたびたび聞いた西蔵《チベット》の魔除《まよ》けの幡《はた》なのでした。ネネムは逃《に》げ出しました。まっ黒なけわしい岩の峯《みね》の上をどこまでもどこまでも逃げました。
ところがすぐ向うから二人の巡礼《じゅんれい》が細い声で歌を歌いながらやって参ります。ネネムはあわててバタバタバタバタもがきました。何とかして早くばけもの世界に戻《もど》ろうとしたのです。
巡礼たちは早くもネネムを見つけました。そしてびっくりして地にひれふして何だかわけのわからない呪文《じゅもん》をとなえ出しました。
ネネムはまるでからだがしびれて来ました。そしてだんだん気が遠くなってとうとうガーンと気絶してしまいました。
ガーン。
それからしばらくたってネネムはすぐ耳のところで
「裁判長。裁判長。しっかりなさい、裁判長。」という声を聞きました。おどろいて眼を明いて見るとそこはさっきのクラレの野原でした。
三十人の部下たちがまわりに集まって実に心配そうにしています。
「ああ僕はどうしたんだろう。」
「只今《ただいま》空から落ちておいででございました。ご気分はいかがですか。」
上席判事が尋《たず》ねました。
「ああ、ありがとう。もうどうもない。しかしとうとう僕は出現してしまった。
僕は今日は自分を裁判しなければならない。
ああ僕は辞職しよう。それからあしたから百日、ばけものの大学校の掃除《そうじ》をしよう。ああ、何もかにもおしまいだ。」
ネネムは思わず泣きました。三十人の部下も一緒に大声で泣きました。その声はノンノンノンノンと地面に波をたて、それが向うのサンムトリに届いたころサンムトリが赤い火柱をあげて第五回の爆発をやりました。
「ガアン、ドロドロドロドロ。」
風がどっと吹いて折れたクラレの花がプルプルとゆれました。〔以下原稿なし〕
底本:「ポラーノの広場」新潮文庫、新潮社
1995(平成7)年2月1日発行
1997(平成9)年5月25日3刷
底本の親本
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