ネンネンネン・ネネム裁判長
 その威《い》オキレの金角とならび
 まひるクラレの花の丘に立ち
 遠い青びかりのサンムトリに命令する。

 青びかりの三角のサンムトリが
 たちまち火柱を空にささげる。
 風が来てクラレの花がひかり
 ペンネンネンネンネン・ネネムは高く笑う。
  ブラボオ。ペンネンネンネンネン・ネネム
  ブラボオ、ペンペンペンペンペン・ペネム。」
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 その時サンムトリが丁度第四回の爆発をやりました。
「ガアン、ドロドロドロドロ、ノンノンノンノンノン。」
 ネネムをはじめばけものの検事も判事もみんな夢中《むちゅう》になって歌ってはねて踊《おど》りました。
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「フィーガロ、フィガロト、フィガロット。
 風が青ぞらを吼《ほ》えて行けば
 そのなごりが地面に下って
 クラレの花がさんさんと光り
 おれたちの袍《ほう》はひるがえる。
 さっきかけて行った風が
 いまサンムトリに届いたのだ。
 そのまっ黒なけむりの柱が
 向うの方に倒《たお》れて行く。
 フィーガロ、フィガロト、フィガロット。
  ブラボオ、ペンネンネンネンネン・ネネム
  ブラボオ、ペンペンペンペンペン・ペネム。

 おれたちの叫び声は地面をゆすり
 その波は一分に二十五ノット
 サンムトリの熱い岩漿《がんしょう》にとどいて
 とうとうも一度爆発をやった。
 フィーガロ、フィガロト、フィガロット。
 フィーガロ、フィガロト、フィガロット。」
[#ここで字下げ終わり]
 ネネムは踊ってあばれてどなって笑ってはせまわりました。
 その時どうしたはずみか、足が少し悪い方へそれました。
 悪い方というのはクラレの花の咲いたばけもの世界の野原の一寸《ちょっと》うしろのあたり、うしろと云うよりは少し前の方でそれは人間の世界なのでした。
「あっ。裁判長がしくじった。」
と誰《たれ》かがけたたましく叫んでいるようでしたが、ネネムはもう頭がカアンと鳴ったまままっ黒なガツガツした岩の上に立っていました。
 すぐ前には本当に夢《ゆめ》のような細い細い路《みち》が灰色の苔《こけ》の中をふらふらと通っているのでした。そらがまっ白でずうっと高く、うしろの方はけわしい坂で、それも間もなくいちめんのまっ白な雲の中に消えていました。
 どこにたった今歌っていたあのばけもの世界のクラレの花の咲いた野原があったでしょう。実にそれはネパールの国からチベットへ入る峠《とうげ》の頂だったのです。
 ネネムのすぐ前に三本の竿《さお》が立ってその上に細長い紐《ひも》のようなぼろ切れが沢山《たくさん》結び付けられ、風にパタパタパタパタ鳴っていました。
 ネネムはそれを見て思わずぞっとしました。
 それこそはたびたび聞いた西蔵《チベット》の魔除《まよ》けの幡《はた》なのでした。ネネムは逃《に》げ出しました。まっ黒なけわしい岩の峯《みね》の上をどこまでもどこまでも逃げました。
 ところがすぐ向うから二人の巡礼《じゅんれい》が細い声で歌を歌いながらやって参ります。ネネムはあわててバタバタバタバタもがきました。何とかして早くばけもの世界に戻《もど》ろうとしたのです。
 巡礼たちは早くもネネムを見つけました。そしてびっくりして地にひれふして何だかわけのわからない呪文《じゅもん》をとなえ出しました。
 ネネムはまるでからだがしびれて来ました。そしてだんだん気が遠くなってとうとうガーンと気絶してしまいました。
 ガーン。
 それからしばらくたってネネムはすぐ耳のところで
「裁判長。裁判長。しっかりなさい、裁判長。」という声を聞きました。おどろいて眼を明いて見るとそこはさっきのクラレの野原でした。
 三十人の部下たちがまわりに集まって実に心配そうにしています。
「ああ僕はどうしたんだろう。」
「只今《ただいま》空から落ちておいででございました。ご気分はいかがですか。」
 上席判事が尋《たず》ねました。
「ああ、ありがとう。もうどうもない。しかしとうとう僕は出現してしまった。
 僕は今日は自分を裁判しなければならない。
 ああ僕は辞職しよう。それからあしたから百日、ばけものの大学校の掃除《そうじ》をしよう。ああ、何もかにもおしまいだ。」
 ネネムは思わず泣きました。三十人の部下も一緒に大声で泣きました。その声はノンノンノンノンと地面に波をたて、それが向うのサンムトリに届いたころサンムトリが赤い火柱をあげて第五回の爆発をやりました。
「ガアン、ドロドロドロドロ。」
 風がどっと吹いて折れたクラレの花がプルプルとゆれました。〔以下原稿なし〕



底本:「ポラーノの広場」新潮文庫、新潮社
   1995(平成7)年2月1日発行
   1997(平成9)年5月25日3刷
底本の親本
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