そうな、ことはこの日も同じだ。その晩豚はあんまりに神経が興奮し過ぎてよく睡《ねむ》ることができなかった。ところが次の朝になって、やっと太陽が登った頃、寄宿舎の生徒が三人、げたげた笑って小屋へ来た。そして一晩睡らないで、頭のしんしん痛む豚に、又もや厭《いや》な会話を聞かせたのだ。
「いつだろうなあ、早く見たいなあ。」
「僕《ぼく》は見たくないよ。」
「早いといいなあ、囲って置いた葱《ねぎ》だって、あんまり永いと凍《こお》っちまう。」
「馬鈴薯《ばれいしょ》もしまってあるだろう。」
「しまってあるよ。三|斗《と》しまってある。とても僕たちだけで食べられるもんか。」
「今朝はずいぶん冷たいねえ。」一人が白い息を手に吹きかけながら斯《こ》う云いました。
「豚のやつは暖かそうだ。」一人が斯う答えたら三人共どっとふき出しました。
「豚のやつは脂肪でできた、厚さ一寸の外套《がいとう》を着てるんだもの、暖かいさ。」
「暖かそうだよ。どうだ。湯気さえほやほやと立っているよ。」
豚はあんまり悲しくて、辛《つら》くてよろよろしてしまう。
「早くやっちまえばいいな。」
三人はつぶやきながら小屋を出た。そのあとの豚の苦しさ、(見たい、見たくない、早いといい、葱が凍る、馬鈴薯三斗、食いきれない。厚さ一寸の脂肪の外套、おお恐い、ひとのからだをまるで観透《みとお》してるおお恐い。恐い。けれども一体おれと葱と、何の関係があるだろう。ああつらいなあ。)その煩悶の最中に校長が又やって来た。入口でばたばた雪を落して、それから例のあいまいな苦笑をしながら前に立つ。
「どうだい。今日は気分がいいかい。」
「はい、ありがとうございます。」
「いいのかい。大へん結構だ。たべ物は美味《おい》しいかい。」
「ありがとうございます。大へんに結構でございます。」
「そうかい。それはいいね、ところで実は今日はお前と、内内相談に来たのだがね、どうだ頭ははっきりかい。」
「はあ。」豚は声がかすれてしまう。
「実はね、この世界に生きてるものは、みんな死ななけぁいかんのだ。実際もうどんなもんでも死ぬんだよ。人間の中の貴族でも、金持でも、又私のような、中産階級でも、それからごくつまらない乞食《こじき》でもね。」
「はあ、」豚は声が咽喉につまって、はっきり返事ができなかった。
「また人間でない動物でもね、たとえば馬でも、牛でも、鶏《にわとり》でも、なまずでも、バクテリヤでも、みんな死ななけぁいかんのだ。蜉蝣《かげろう》のごときはあしたに生れ、夕《ゆうべ》に死する、ただ一日の命なのだ。みんな死ななけぁならないのだ。だからお前も私もいつか、きっと死ぬのにきまってる。」
「はあ。」豚は声がかすれて、返事もなにもできなかった。
「そこで実は相談だがね、私たちの学校では、お前を今日まで養って来た。大したこともなかったが、学校としては出来るだけ、ずいぶん大事にしたはずだ。お前たちの仲間もあちこちに、ずいぶんあるし又私も、まあよく知っているのだが、でそう云っちゃ可笑《おか》しいが、まあ私の処《ところ》ぐらい、待遇《たいぐう》のよい処はない。」
「はあ。」豚は返事しようと思ったが、その前にたべたものが、みんな咽喉へつかえててどうしても声が出て来なかった。
「でね、実は相談だがね、お前がもしも少しでも、そんなようなことが、ありがたいと云う気がしたら、ほんの小さなたのみだが承知をしては貰《もら》えまいか。」
「はあ。」豚は声がかすれて、返事がどうしてもできなかった。
「それはほんの小さなことだ。ここに斯《こ》う云う紙がある、この紙に斯う書いてある。死亡承諾書、私|儀《ぎ》永々|御恩顧《ごおんこ》の次第《しだい》に有之候儘《これありそうろうまま》、御都合《ごつごう》により、何時《いつ》にても死亡|仕《つかまつ》るべく候年月日フランドン畜舎《ちくしゃ》内、ヨークシャイヤ、フランドン農学校長|殿《どの》 とこれだけのことだがね、」校長はもう云い出したので、一瀉千里《いっしゃせんり》にまくしかけた。
「つまりお前はどうせ死ななけぁいかないからその死ぬときはもう潔《いさぎよ》く、いつでも死にますと斯う云うことで、一向何でもないことさ。死ななくてもいいうちは、一向死ぬことも要《い》らないよ。ここの処へただちょっとお前の前肢《まえあし》の爪印《つめいん》を、一つ押しておいて貰いたい。それだけのことだ。」
豚は眉《まゆ》を寄せて、つきつけられた証書を、じっとしばらく眺《なが》めていた。校長の云う通りなら、何でもないがつくづくと証書の文句を読んで見ると、まったく大へんに恐《こわ》かった。とうとう豚はこらえかねてまるで泣声でこう云った。
「何時にてもということは、今日でもということですか。」
校長はぎくっとしたが気をとりなおし
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