てこう云った。
「まあそうだ。けれども今日だなんて、そんなことは決してないよ。」
「でも明日でもというんでしょう。」
「さあ、明日なんていうよう、そんな急でもないだろう。いつでも、いつかというような、ごくあいまいなことなんだ。」
「死亡をするということは私が一人で死ぬのですか。」豚は又《また》金切声で斯うきいた。
「うん、すっかりそうでもないな。」
「いやです、いやです、そんならいやです。どうしてもいやです。」豚は泣いて叫《さけ》んだ。
「いやかい。それでは仕方ない。お前もあんまり恩知らずだ。犬|猫《ねこ》にさえ劣《おと》ったやつだ。」校長はぷんぷん怒り、顔をまっ赤にしてしまい証書をポケットに手早くしまい、大股《おおまた》に小屋を出て行った。
「どうせ犬猫なんかには、はじめから劣っていますよう。わあ」豚はあんまり口惜《くや》しさや、悲しさが一時にこみあげて、もうあらんかぎり泣きだした。けれども半日ほど泣いたら、二晩も眠らなかった疲《つか》れが、一ぺんにどっと出て来たのでつい泣きながら寝込《ねこ》んでしまう。その睡《ねむ》りの中でも豚は、何べんも何べんもおびえ、手足をぶるっと動かした。
 ところがその次の日のことだ。あの畜産の担任が、助手を連れて又やって来た。そして例のたまらない、目付きで豚をながめてから、大へん機嫌《きげん》の悪い顔で助手に向ってこう云った。
「どうしたんだい。すてきに肉が落ちたじゃないか。これじゃまるきり話にならん。百姓《ひゃくしょう》のうちで飼《か》ったってこれ位にはできるんだ。一体どうしたてんだろう。心当りがつかないかい。頬肉《ほおにく》なんかあんまり減った。おまけにショウルダアだって、こんなに薄《うす》くちゃなってない。品評会へも出せぁしない。一体どうしたてんだろう。」
 助手は唇《くちびる》へ指をあて、しばらくじっと考えて、それからぼんやり返事した。
「さあ、昨日の午后《ごご》に校長が、おいでになっただけでした。それだけだったと思います。」
 畜産の教師は飛び上る。
「校長? そうかい。校長だ。きっと承諾書を取ろうとして、すてきなぶまをやったんだ。おじけさせちゃったんだな。それでこいつはぐるぐるして昨夜一晩寝ないんだな。まずいことになったなあ。おまけにきっと承諾書も、取り損《そこ》ねたにちがいない。まずいことになったなあ。」
 教師は実に口惜しそうに、しばらくキリキリ歯を鳴らし腕《うで》を組んでから又云った。
「えい、仕方ない。窓をすっかり明けて呉《く》れ。それから外へ連れ出して、少し運動させるんだ。む茶くちゃにたたいたり走らしたりしちゃいけないぞ。日の照らない処を、厩舎《きゅうしゃ》の陰《かげ》のあたりの、雪のない草はらを、そろそろ連れて歩いて呉れ。一回十五分位、それから飼料をやらないで少し腹を空《す》かせてやれ。すっかり気分が直ったらキャベジのいい処を少しやれ。それからだんだん直ったら今まで通りにすればいい。まるで一ヶ月の肥育を、一晩で台なしにしちまった。いいかい。」
「承知いたしました。」
 教師は教員室へ帰り豚はもうすっかり気落ちして、ぼんやりと向うの壁《かべ》を見る、動きも叫びもしたくない。ところへ助手が細い鞭《むち》を持って笑って入って来た。助手は囲いの出口をあけごく叮寧《ていねい》に云ったのだ。
「少しご散歩はいかがです。今日は大へんよく晴れて、風もしずかでございます。それではお供いたしましょう、」ピシッと鞭がせなかに来る、全くこいつはたまらない、ヨークシャイヤは仕方なくのそのそ畜舎を出たけれど胸は悲しさでいっぱいで、歩けば裂《さ》けるようだった。助手はのんきにうしろから、チッペラリーの口笛《くちぶえ》を吹《ふ》いてゆっくりやって来る。鞭もぶらぶらふっている。
 全体何がチッペラリーだ。こんなにわたしはかなしいのにと豚は度々《たびたび》口をまげる。時々は
「ええもう少し左の方を、お歩きなさいましては、いかがでございますか。」なんて、口ばかりうまいことを云いながら、ピシッと鞭を呉れたのだ。(この世はほんとうにつらいつらい、本当に苦の世界なのだ。)こてっとぶたれて散歩しながら豚はつくづく考えた。
「さあいかがです、そろそろお休みなさいませ。」助手は又一つピシッとやる。ウルトラ大学生諸君、こんな散歩が何で面白《おもしろ》いだろう。からだの為《ため》も何もあったもんじゃない。
 豚は仕方なく又畜舎に戻《もど》りごろっと藁《わら》に横になる。キャベジの青いいい所を助手はわずか持って来た。豚は喰《た》べたくなかったが助手が向うに直立して何とも云えない恐い眼で上からじっと待っている、ほんとうにもう仕方なく、少しそれを噛《か》じるふりをしたら助手はやっと安心して一つ「ふん。」と笑ってからチッペラリーの口
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