ビジテリアン大祭
宮沢賢治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)考《かんがえ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)割合|穏健《おんけん》な

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)如来正※[#「彳+扁」、第3水準1−84−34]知
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 私は昨年九月四日、ニュウファウンドランド島の小さな山村、ヒルテイで行われた、ビジテリアン大祭に、日本の信者一同を代表して列席して参りました。
 全体、私たちビジテリアンというのは、ご存知の方も多いでしょうが、実は動物質のものを食べないという考《かんがえ》のものの団結でありまして、日本では菜食主義者と訳しますが主義者というよりは、も少し意味の強いことが多いのであります。菜食信者と訳したら、或《あるい》は少し強すぎるかも知れませんが、主義者というよりは、よく実際に適《かな》っていると思います。もっともその中にもいろいろ派がありますが、まあその精神について大きくわけますと、同情派と予防派との二つになります。
 この名前は横からひやかしにつけたのですが、大へんうまく要領を云《い》いあらわしていますから、かまわず私どもも使うのです。
 同情派と云いますのは、私たちもその方でありますが、恰度《ちょうど》仏教の中でのように、あらゆる動物はみな生命を惜《おし》むこと、我々と少しも変りはない、それを一人が生きるために、ほかの動物の命を奪《うば》って食べるそれも一日に一つどころではなく百や千のこともある、これを何とも思わないでいるのは全く我々の考が足らないので、よくよく喰《た》べられる方になって考えて見ると、とてもかあいそうでそんなことはできないとこう云う思想なのであります。ところが予防派の方は少しちがうのでありまして、これは実は病気予防のために、なるべく動物質をたべないというのであります。則《すなわ》ち肉類や乳汁を、あんまりたくさんたべると、リウマチスや痛風や、悪性の腫脹《しゅちょう》や、いろいろいけない結果が起るから、その病気のいやなもの、又《また》その病気の傾向《けいこう》のあるものは、この団結の中に入るのであります。それですからこの派の人たちはバターやチーズも豆《まめ》からこしらえたり、又菜食病院というものを建てたり、いろいろなことをしています。
 以上は、まあ、ビジテリアンをその精神から大きく二つにわけたのでありますが、又一方これをその実行の方法から分類しますと、三つになります。第一に、動物質のものは全く喰べてはいけないと、則ち獣《けもの》や魚やすべて肉類はもちろん、ミルクや、またそれからこしらえたチーズやバター、お菓子《かし》の中でも鶏卵《けいらん》の入ったカステーラなど、一切いけないという考の人たち、日本ならばまあ、一寸《ちょっと》鰹《かつお》のだしの入ったものもいけないという考のであります。この方法は同情派にも予防派にもありますけれども大部分は予防派の人たちがやります。第二のは、チーズやバターやミルク、それから卵などならば、まあものの命をとるというわけではないから、さし支《つか》えない、また大してからだに毒になるまいというので、割合|穏健《おんけん》な考であります。第三は私たちもこの中でありますが、いくら物の命をとらない、自分ばかりさっぱりしていると云ったところで、実際にほかの動物が辛《つら》くては、何にもならない、結局はほかの動物がかあいそうだからたべないのだ、小さな小さなことまで、一一|吟味《ぎんみ》して大へんな手数をしたり、ほかの人にまで迷惑《めいわく》をかけたり、そんなにまでしなくてもいい、もしたくさんのいのちの為《ため》に、どうしても一つのいのちが入用なときは、仕方ないから泣きながらでも食べていい、そのかわりもしその一人が自分になった場合でも敢《あえ》て避《さ》けないとこう云うのです。けれどもそんな非常の場合は、実に実に少いから、ふだんはもちろん、なるべく植物をとり、動物を殺さないようにしなければならない、くれぐれも自分一人気持ちをさっぱりすることにばかりかかわって、大切の精神を忘れてはいけないと斯《こ》う云うのであります。
 そこで、大体ビジテリアンというものの性質はおわかりでしょうから、これから昨年のその大祭のときのもようをお話いたします。
 私がニュウファウンドランドの、トリニテイの港に着きましたのは、恰度《ちょうど》大祭の前々日でありました。事によると、間に合わないと思ったのが、うまい工合《ぐあい》に参りましたので、大へんよろこびました。トルコからの六人の人たちと、船の中で知り合いになりました。その団長は、地学博士でした。大祭に参加後、すぐ六人ともカナダの北境を探険するという話でした。私たちは、船を下りると、すぐ旅装《りょそう》を調えて、ヒルテイの村に出発したのであります。実は私は日本から出ました際には、ニュウファウンドランドへさえ着いたら、誰《たれ》の眼《め》もみなそのヒルテイという村の方へ向いてるだろう、世界中から集った旅人が、ぞろぞろそっちへ行くのだろうから、もうすぐ路《みち》なんかわかるだろうと思って居《お》りました。ところが、船の中でこそ、遇然《ぐうぜん》トルコ人六人とも知り合いになったようなもの、実際トリニテイの町に下りて見ると、どこにもそんなビラが張ってあるでもなし、ヒルテイという名を云う人も一人だってあるでなし、実は私も少し意外に感じたので〔以下原稿数枚なし〕

は町をはなれて、海岸の白い崖《がけ》の上の小さなみちを行きました、そらが曇《くも》って居りましたので大西洋がうすくさびたブリキのように見え、秋風は白いなみがしらを起し、小さな漁船はたくさんならんで、その中を行くのでした。落葉松《からまつ》の下枝《したえだ》は、もう褐色《かっしょく》に変っていたのです。
 トルコ人たちは、みちに出ている岩にかなづちをあてたり、がやがや話し合ったりして行きました。私はそのあとからひとり空虚《から》のトランクを持って歩きました。一時間半ばかり行ったとき、私たちは海に沿った一つの峠《とうげ》の頂上に来ました。
「もうヒルテイの村が見える筈《はず》です。」団長の地学博士が私の前に来て、地図を見ながら英語で云いました。私たちは向うを注意してながめました。ひのきの一杯《いっぱい》にしげっている谷の底に、五つ六つ、白い壁《かべ》が見えその谷には海が峡湾《きょうわん》のような風にまっ蒼《さお》に入り込《こ》んでいました。
「あれがヒルテイの村でしょうか。」私は団長にたずねました。団長は、しきりに地図と眼の前の地形とくらべていましたが、しばらくたって眼鏡《めがね》をちょっと直しながら、
「そうです。あれがヒルテイの村です。私たちの教会は、多分あの右から三番目に見える平屋根の家でしょう。旗か何か立っているようです。あすこにデビスさんが、住んでいられるんですね。」
 デビスというのは、ご存知の方もありましょうが、私たちの派のまあ長老です、ビジテリアン月報の主筆で、今度の大祭では祭司長になった人であります。そこで、私たちは、俄《にわ》かに元気がついて、まるで一息にその峠をかけ下りました。トルコ人たちは脚《あし》が長いし、背嚢《はいのう》を背負って、まるで磁石《じしゃく》に引かれた砂鉄とい〔以下原稿数枚なし〕

そうにあたりの風物をながめながら、三人や五人ずつ、ステッキをひいているのでした。婦人たちも大分ありました。又|支那《しな》人かと思われる顔の黄いろな人とも会いました。私はじっとその顔を見ました。向うでも立ちどまってしまいました。けれどもその日はとうとう話しかけるでもなく、別れてしまいましたが、その人がやはりビジテリアンで、大祭に来たものなことは疑《うたがい》もありませんでした。私たちは教会に来ました。教会は粗末《そまつ》な漆喰造《しっくいづく》りで、ところどころ裂罅割《ひびわ》れていました。多分はデビスさんの自分の家だったのでしょうが、ずいぶん大きいことは大きかったのです。旗や電燈が、ひのきの枝ややどり木などと、上手に取り合せられて装飾《そうしょく》され、まだ七八人の人が、せっせと明後日《あさって》の仕度《したく》をして居りました。
 私たちは教会の玄関《げんかん》に立って、ベルを押《お》しました。
 すぐ赭《あか》ら顔の白髪《はくはつ》の元気のよさそうなおじいさんが、かなづちを持ってよこの室《へや》から顔〔以下原稿数枚なし〕

が、桃《もも》いろの紙に刷られた小さなパンフレットを、十枚ばかり持って入って来ました。
「お早うございます。なあに却《かえ》って御愛嬌《ごあいきょう》ですよ。」
「お早うございます。どうか一枚拝見。」
 私はパンフレットを手にとりました。それは今ももっていますが斯《こ》う書いてあったのです。
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「◎偏狭《へんきょう》非文明的なるビジテリアンを排《はい》す。
マルサスの人口論は、今日定性的には誰も疑うものがない。その要領は人類の居住すべき世界の土地は一定である、又その食料品は等差級数的に増加するだけである、然《しか》るに人口は等比級数的に多くなる。則《すなわ》ち人類の食料はだんだん不足になる。人類の食料と云えば蓋《けだ》し動物植物鉱物の三種を出《い》でない。そのうち鉱物では水と食塩とだけである。残りは植物と動物とが約半々を占《し》める。ところが茲《ここ》にごく偏狭な陰気《いんき》な考の人間の一群があって、動物は可哀《かあい》そうだからたべてはならんといい、世界中にこれを強《し》いようとする。これがビジテリアンである。この主張は、実に、人類の食物の半分を奪おうと企《くわだ》てるものである。換言《かんげん》すれば、この主張者たちは、世界人類の半分、則ち十億人を饑餓《きが》によって殺そうと計画するものではないか。今日いずれの国の法律を以《もっ》てしても、殺人罪は一番重く罰《ばっ》せられる。間接ではあるけれども、ビジテリアンたちも又この罪を免《まぬか》れない。近き将来、各国から委員が集って充分《じゅうぶん》商議の上厳重に処罰されるのはわかり切ったことである。又この事実は、ビジテリアンたちの主張が、畢竟《ひっきょう》自家撞着《じかどうちゃく》に終ることを示す。則ちビジテリアンは動物を愛するが故《ゆえ》に動物を食べないのであろう。何が故にその為に食物を得ないで死亡する、十億の人類を見殺しにするのであるか。人類も又動物ではないか。」
[#ここで字下げ終わり]
「こいつは面白《おもしろ》い。実に名論だ。文章も実に珍無類《ちんむるい》だ。実に面白い。」トルコの地学博士はその肥《ふと》った顔を、まるで張り裂《さ》けるようにして笑いました。みんなも笑いました。とにかくみんな寝巻《ねまき》をぬいで、下に降りて、口を漱《すす》いだり顔を洗ったりしました。
 それから私たちは、簡単に朝飯を済まして、式が九時から始まるのでしたから、しばらくバルコンでやすんで待っていました。
 不意に教会の近くから、のろしが一発|昇《のぼ》りました。そらがまっ青に晴れて、一枚の瑠璃《るり》のように見えました。その冴《す》みきったよく磨《みが》かれた青ぞらで、まっ白なけむりがパッとたち、それから黄いろな長いけむりがうねうね下って来ました。それはたしかに、日本でやる下り竜《りゅう》の仕掛《しか》け花火です。そこで私ははっと気がつきました。こののろしは陳《ちん》氏があげているのだ、陳氏が支那式黄竜の仕掛け花火をやったのだと気がつきましたので、大悦《おおよろこ》びでみんなにも説明しました。
 その時又、今朝のすてきなラッパの声が遠くから響《ひび》いて参りました。
「来た来た。さあどんな顔ぶれだか、一つ見てやろうじゃないか。」地学博士を先登《せんとう》に、私たちは、どやどや、玄関へ降りて行きました。たちまち一台の大きな赤い自働車がやって来
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