人も連れて来ているのでした。そして三人とも、今日はすっかり支那服でした。私は支那服の立派さを、この朝ぐらい感じたことはありません。陳氏はすっかり黒の支度《したく》をして、袖口《そでぐち》と沓《くつ》だけ、まばゆいくらいまっ白に、髪は昨日《きのう》の通りでしたが、支那の勲章を一つつけていました。
それから助手の子供らは、まるで絵にある唐児《からこ》です。あたまをまん中だけ残して、くりくり剃《そ》って、恭《うやうや》しく両手を拱《こまね》いて、陳氏のうしろに立っていました。陳氏は私の行ったのを見ると本当に嬉《うれ》しかったと見えて、いきなり手を出して、
「おめでとう。お早う。いいお天気です。天の幸、君にあらんことを。」とつづけざまにべらべら挨拶しました。
「お早う。」私たちは手を握《にぎ》りました。二人の子供の助手も、両手を拱いたまま私に一揖《いちゆう》しました。私も全く嬉しかったんです。ニュウファウンドランド島の青ぞらの下で、この叮重《ていちょう》な東洋風の礼を受けたのです。
陳氏は云いました。
「さあ、もう一発やりますよ。あとは式がすんでからです。今度のは、私の郷国の名前では、柳雲飛鳥《りゅううんひちょう》といいます。柳はサリックス、バビロニカ、です。飛鳥は燕《スワロウ》です。日本でも、柳と燕《つばめ》を云いますか。」
「云います。そしてよく覚えませんが、たしか私の方にも、その狼煙はあった筈《はず》ですよ。いや花火だったかな。それとも柳にけまりだったかな。」
「日本の花火の名所は、東京両国橋ですね。」
「ええそのほか岩国とか石の巻とか、あちこちにもあります。」
「なるほど。さあ、支度。」陳氏は二人の子供に向きました。一人の子は恭しくバスケットから、狼煙玉を持ち出しました。陳氏はそれを受けとってよく調べてから、
「よろしい。口火。」と云いました。も一人の子は、もう手に口火を持って待っていました。陳氏はそれを受けとりました。はじめの子は、シュッとマッチをすりました。陳氏はそれに口火をあてて、急いでのろし筒《づつ》に投げ込みました。しばらくたって、「ドーン」けむりと一緒《いっしょ》に、さっきの玉は、汽車ぐらいの速さで青ぞらにのぼって行きました。二人の子供も、恭しく腕《うで》を拱いて、それを見上げていました。たちまち空で白いけむりが起り、ポンポンと音が下って来それから青い柳のけむりが垂れ、その間を燕の形の黒いものが、ぐるぐる縫《ぬ》って進みました。
「さあ式場へ参りましょう。お前たち此処《ここ》で番をしておいで。」陳氏は英語で云って、それから私らは、その二人の子供らの敬礼をうしろに式場の天幕《テント》へ帰りました。
もう式の始まるに、六分しかありませんでした。天幕の入口で、私たちはプログラムを受け取りました。それには表に
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ビジテリアン大祭次第
挙祭挨拶
論難|反駁《はんぱく》
祭歌合唱
祈祷《きとう》
閉式挨拶
会食
会員紹介
余興 以上
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と刷ってあり私たちがそれを受け取った時丁度九時五分前でした。
式場の中はぎっしりでした。それに人数もよく調べてあったと見えて、空いた椅子《いす》とてもあんまりなく、勿論《もちろん》腰《こし》かけないで立っている人などは一人もありませんでした。みんなで五百人はあったでしょう。その中には婦人たちも三分の一はあったでしょう。いろいろな服装や色彩《しきさい》が、処々《ところどころ》に配置された橙や青の盛花《もりばな》と入りまじり、秋の空気はすきとおって水のよう、信者たちも又《また》さっきとは打って変って、しいんとして式の始まるのを待っていました。
アーチになった祭壇のすぐ下には、スナイダーを楽長とするオーケストラバンドが、半円陣《はんえんじん》を採り、その左には唱歌隊の席がありました。唱歌隊の中にはカナダのグロッコも居たそうですが、どの人かわかりませんでした。
ところが祭壇の下オーケストラバンドの右側に、「異教徒席」「異派席」という二つの陶製の標札《ひょうさつ》が出て、どちらにも二十人ばかりの礼装をした人たちが座って居りました。中には今朝の自働車で見たような人も大分ありました。
私もそこで陳氏と並んで一番うしろに席をとりました。陳氏はしきりに向うの異教徒席や異派席とプログラムとを比較《ひかく》しながらよほど気にかかる模様でした。とうとう、そっと私にささやきました。
「このプログラムの論難というのは向うのあの連中がやるのですね。」
「きっとそうでしょうね。」
「どうです、異派席の連中は、私たちの仲間にくらべては少し風采《ふうさい》でも何でも見劣《みおと》りするようですね。」
私も笑いました。
「どうもそうのようですよ。」
陳氏が又云いました。
「けれども又異教席のやつらと、異派席の連中とくらべて見たんじゃ又ずっと違《ちが》ってますね。異教席のやつらときたら、実際どうも醜悪《しゅうあく》ですね。」
「全くです。」私はとうとう吹《ふ》き出しました。実際異教席の連中ときたらどれもみんな醜悪だったのです。
俄《にわ》かに澄《す》み切った電鈴《でんれい》の音が式場|一杯《いっぱい》鳴りわたりました。
拍手《はくしゅ》が嵐《あらし》のように起りました。
白髯《はくぜん》赭顔《しゃがん》のデビス長老が、質素な黒のガウンを着て、祭壇《さいだん》に立ったのです。そして何か云おうとしたようでしたが、あんまり嬉しかったと見えて、もうなんにも云えず、ただおろおろと泣いてしまいました。信者たちはまるで熱狂《ねっきょう》して、歓呼拍手しました。デビス長老は、手を大きく振《ふ》って又何か云おうとしましたが、今度も声が咽喉《のど》につまって、まるで変な音になってしまい、とうとう又泣いてしまったのです。
みんなは又熱狂的に拍手しました。長老はやっと気を取り直したらしく、大きく手を三度ふって、何か叫《さけ》びかけましたけれども、今度だってやっぱりその通り、崩《くず》れるように泣いてしまったのです。祭司次長、ウィリアム・タッピングという人で、爪哇《ジャワ》の宣教師なそうですが、せいの高い立派なじいさんでした、が見兼ねて出て行って、祭司長にならんで立ちました。式場はしいんと静まりました。
「諸君、祭司長は、只今《ただいま》既《すで》に、無言を以《もっ》て百千万言を披瀝《ひれき》した。是《こ》れ、げにも尊き祭始の宣言である。然《しか》しながら、未《いま》だ祭司長の云わざる処もある。これ実に祭司長が述べんと欲するものの中の糟粕《そうはく》である。これをしも、祭司次長が諸君に告げんと欲《ほっ》して、敢《あえ》て咎《とが》めらるべきでない。諸君、吾人《ごじん》は内外多数の迫害《はくがい》に耐《た》えて、今日|迄《まで》ビジテリアン同情派の主張を維持《いじ》して来た。然もこれ未だ社会的に無力なる、各個人個人に於《おい》てである。然るに今日は既にビジテリアン同情派の堅《かた》き結束《けっそく》を見、その光輝《こうき》ある八面体の結晶《けっしょう》とも云うべきビジテリアン大祭を、この清澄《せいちょう》なるニュウファウンドランド島、九月の気圏《きけん》の底に於て析出《せきしゅつ》した。殊《こと》にこの大祭に於て、多少の愉快《ゆかい》なる刺戟《しげき》を吾人が所有するということは、最《もっとも》天意のある所である。多少の愉快なる刺戟とは何であるか、これプログラム中にある異教|及《および》異派の諸氏の論難である。是等《これら》諸氏はみな信者諸氏と同じく、各自の主義主張の為《ため》に、世界各地より集り来《きた》った真理の友である。恐《おそ》らく諸氏の論難は、最|痛烈《つうれつ》辛辣《しんらつ》なものであろう。その愈々《いよいよ》鋭利《えいり》なるほど、愈々公明に我等はこれに答えんと欲する。これ大祭開式の辞、最後糟粕の部分である。祭司次長ウィリアム・タッピング祭司長ヘンリー・デビスに代ってこれを述べる。」
拍手は天幕《テント》もひるがえるばかり、この間デビスはただよろよろと感激《かんげき》して頭をふるばかりでありました。
その拍手の中でデビス長老は祭司次長に連れられて壇を下り透明《とうめい》な電鈴が式場一杯に鳴りました。祭司次長が又祭壇に上って壇の隅《すみ》の椅子にかけ、それから一寸《ちょっと》立って異教徒席の方を軽くさし招きました。
異教徒席の中からせいの高い肥《ふと》ったフロックの人が出て卓子《テーブル》の前に立ち一寸|会釈《えしゃく》してそれからきぱきぱした口調で斯《こ》う述べました。
「私はビジテリアン諸氏の主張に対して二個条の疑問がある。
第一植物性食品の消化率が動物性食品に比して著《いちじる》しく小さいこと。尤《もっと》も動物性食品には含水炭素《がんすいたんそ》が殆《ほと》んどないからこれは当然植物から採らなければならない。然しながらもし蛋白質《たんぱくしつ》と脂肪《しぼう》とについて考えるならば何といっても植物性のものは消化が悪い。単に分析表を見て牛肉と落花生と営養価が同じだと云《い》って牛肉の代りにそっくり豆《まめ》を喰《た》べるというわけにはいかない。人によっては植物蛋白を殆んど消化しないじゃないかと思われることもあるのだ。ビジテリアン諸氏はこれらのことは充分《じゅうぶん》ご承知であろうが尚《なお》これを以て多くの病弱者や老衰者《ろうすいしゃ》並《ならび》に嬰児《えいじ》にまで及ぼそうとするのはどう云うものであろうか。
第二は植物性食品はどう考えても動物性食品より美味《おい》しくない。これは何としても否定することができない。元来食事はただ営養をとる為のものでなく又一種の享楽《きょうらく》である。享楽と云うよりは欠くべからざる精神爽快剤《レフレッシュメント》である。労働に疲《つか》れ種々の患難《かんなん》に包まれて意気銷沈《いきしょうちん》した時には或《あるい》は小さな歌謡《かよう》を口吟《くちずさ》む、談笑する音楽を聴《き》く観劇や小遠足にも出ることが大へん効果あるように食事も又一の心身回復剤である。この快楽を菜食ならば著しく減ずると思う。殊に愉快に食べたものならば実際消化もいいのだ。これをビジテリアン諸氏はどうお考《かんがえ》であるか伺《うかが》いたい。」
大へん温和《おとな》しい論旨《ろんし》でしたので私たちは実際本気に拍手しました。すると私たちの席から三人ばかり祭司次長の方へ手をあげて立った人がありましたが祭司次長は一番前の老人を招きました。その人は白髯《しろひげ》でやはり牧師らしい黒い服装《ふくそう》をしていましたが壇に昇《のぼ》って重い調子で答えたのでした。
「只今《ただいま》の御質疑に答えたいと存じます。
植物性の脂肪や蛋白質の消化があまりよくないことは明かであります。さればといって甚《はなはだ》不良なのではなく、ただ動物質の食品に比して幾分《いくぶん》劣るというのであります。全然植物性蛋白や脂肪を消化しないという人はまあありますまい、あるとすればその人は又動物性の蛋白や脂肪も消化しないのです。さてどう云うわけで植物性のものが消化がよくないかと云えば蛋白質の方はどうもやっぱりその蛋白質分子の構造によるようでありますが脂肪の消化率の少いのはそれが多く繊維素《せんいそ》の細胞壁《さいぼうへき》に包まれている関係のようであります。どちらも次第《しだい》に菜食になれて参りますと消化もだんだん良くなるのであります。色々実験の成績もございますから後でご覧を願います。又病弱者老衰者嬰児等の中には全く菜食ではいけない人もありましょう、私どもの派ではそれらに対してまで菜食を強《し》いようと致《いた》すのではありません。ただなるべく動物|互《たがい》に相喰《あいは》むのは決して当然のことでない何とかしてそうでなくしたいという位の意味であります。尤も老人病弱者にても若《も》し肉食を嫌《きら》うものがあればこれに適するような消化のいい食品をつくる事に就
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