を感ずる。ある時は畜生《ちくしょう》、則《すなわ》ち我等が呼ぶ所の動物中に生れる。ある時は天上にも生れる。その間にはいろいろの他のたましいと近づいたり離れたりする。則ち友人や恋人《こいびと》や兄弟や親子やである。それらが互《たがい》にはなれ又生を隔《へだ》ててはもうお互に見知らない。無限の間には無限の組合せが可能である。だから我々のまわりの生物はみな永い間の親子兄弟である。異教の諸氏はこの考をあまり真剣で恐ろしいと思うだろう。恐ろしいまでこの世界は真剣な世界なのだ。私はこれだけを述べようと思ったのである。」
私は会釈《えしゃく》して壇《だん》を下り拍手《はくしゅ》もかなり起りました。異教徒席の神学博士たちももうこれ以上論じたいような景色も見えませんでした。けれども異教徒席の中にだってみんな神学博士ばかりではありませんでした。丁度ヘッケルのような風をした眉間《みけん》に大きな傷あとのある人が俄《にわ》かに椅子《いす》を立ちました。私は今朝のパンフレットから考えてきっとあれは動物学者だろうと考えたのです。
その人はまるで顔をまっ赤にしてせかせかと祭壇にのぼりました。我々は寛大《かんだい
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