で、私たちは、俄《にわ》かに元気がついて、まるで一息にその峠をかけ下りました。トルコ人たちは脚《あし》が長いし、背嚢《はいのう》を背負って、まるで磁石《じしゃく》に引かれた砂鉄とい〔以下原稿数枚なし〕

そうにあたりの風物をながめながら、三人や五人ずつ、ステッキをひいているのでした。婦人たちも大分ありました。又|支那《しな》人かと思われる顔の黄いろな人とも会いました。私はじっとその顔を見ました。向うでも立ちどまってしまいました。けれどもその日はとうとう話しかけるでもなく、別れてしまいましたが、その人がやはりビジテリアンで、大祭に来たものなことは疑《うたがい》もありませんでした。私たちは教会に来ました。教会は粗末《そまつ》な漆喰造《しっくいづく》りで、ところどころ裂罅割《ひびわ》れていました。多分はデビスさんの自分の家だったのでしょうが、ずいぶん大きいことは大きかったのです。旗や電燈が、ひのきの枝ややどり木などと、上手に取り合せられて装飾《そうしょく》され、まだ七八人の人が、せっせと明後日《あさって》の仕度《したく》をして居りました。
 私たちは教会の玄関《げんかん》に立って、ベルを押《
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