この名前は横からひやかしにつけたのですが、大へんうまく要領を云《い》いあらわしていますから、かまわず私どもも使うのです。
同情派と云いますのは、私たちもその方でありますが、恰度《ちょうど》仏教の中でのように、あらゆる動物はみな生命を惜《おし》むこと、我々と少しも変りはない、それを一人が生きるために、ほかの動物の命を奪《うば》って食べるそれも一日に一つどころではなく百や千のこともある、これを何とも思わないでいるのは全く我々の考が足らないので、よくよく喰《た》べられる方になって考えて見ると、とてもかあいそうでそんなことはできないとこう云う思想なのであります。ところが予防派の方は少しちがうのでありまして、これは実は病気予防のために、なるべく動物質をたべないというのであります。則《すなわ》ち肉類や乳汁を、あんまりたくさんたべると、リウマチスや痛風や、悪性の腫脹《しゅちょう》や、いろいろいけない結果が起るから、その病気のいやなもの、又《また》その病気の傾向《けいこう》のあるものは、この団結の中に入るのであります。それですからこの派の人たちはバターやチーズも豆《まめ》からこしらえたり、又菜食病院
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