どもがみなさんにさしあげて置いた五六枚のパンフレットはどなたも大抵お読み下すった事と思う。私はたしかに評判の通りシカゴ畜産《ちくさん》組合の理事で又《また》屠畜《とちく》会社の技師です。ところが正直のところシカゴ畜産組合がこのビジテリアン大祭を決して苦にするわけはない。何となれば只今前論者の云われたようなトラピスト風の人間というものは今日全人類の一万分一もあるもんじゃない。やっぱりあたり前の人間には肉類は食料として滋養《じよう》も多く美味である。ビジテリアン諸氏が折角《せっかく》菜食を実行し又宣伝するのを見た処《ところ》で感服はしても容易に真似《まね》はしない。則ち肉類の需要が減ずるものでもなし又私たちの組合がこわれたり会社が破産したりするものではない。だから一向反対宣伝も要《い》らなければこの軽業《かるわざ》テントの中に入って異教席というこの光栄ある場所に私が数時間|窮屈《きゅうくつ》をする必要もない。然しながら実は私は六月からこちらへ避暑《ひしょ》に来て居《お》りました。そしてこの大祭にぶっつかったのですから職業|柄《がら》私の方ではほんの余興のつもりでしたが少し邪魔《じゃま》を入れて見ようかと本社へ云ってやりましたら社長や何かみな大へん面白《おもしろ》がって賛成して運動費などもよこし慰労旁々《いろうかたがた》技師も五人|寄越《よこ》しました。そこで私たちは大急ぎで銘々《めいめい》一つずつパンフレットも作り自働車などまで雇《やと》ってそれを撒《ま》きちらしましたが実は、なあに、一向あなた方が菜っ葉や何かばかりお上がりになろうと痛くもかゆくもないのです。然しまあやりかけた事ですからこれからも一度あのパンフレットを銘々一人ずつご説明して苦しいご返答を伺おうと思います。実は私の方でもあの通り速記者もたのんであります、ご答弁は私の方の機関雑誌畜産|之《の》友に載せますからご承知を願います。で私のおたずね致したいことはパンフレットにもありました通り動物がかあいそうだからたべないとあなた方は仰《お》っしゃるが動物というものは一種の器械です。消化吸収|排泄《はいせつ》循環《じゅんがん》生殖《せいしょく》と斯《こ》う云うことをやる器械です。死ぬのが恐《こわ》いとか明日病気になって困るとか誰《たれ》それと絶交しようとかそんな面倒《めんどう》なことを考えては居りません。動物の神経だなんというものはただ本能と衝動《しょうどう》のためにあるです。神経なんというのはほんの少ししか働きません。その証拠《しょうこ》にはご覧なさい鶏《にわとり》では強制肥育ということをやる、鶏の咽喉《のど》にゴム管をあてて食物をぐんぐん押《お》し込《こ》んでやる。ふだんの五倍も十倍も押し込む、それでちゃんと肥《ふと》るのです、面白い位|肥《ふと》るのです。又犬の胃液の分泌《ぶんぴつ》や何かの工合《ぐあい》を見るには犬の胸を切って胃の後部を露出《ろしゅつ》して幽門《ゆうもん》の所を腸と離《はな》してゴム管に結ぶそして食物をやる、どうです犬は食べると思いますか食べないと思いますか。あっ、どうかしましたか。」
実際どうかしたのでした。あんまり話がひどかった為《ため》に婦人の中で四五人卒倒者があり他《ほか》の婦人たちも大抵《たいてい》歯を食いしばって泣いたり耳をふさいで縮まったりしていたのです。式場は俄《にわか》に大騒《おおさわ》ぎになりシカゴの畜産技師も祭壇《さいだん》の上で困って立っていました。正気を失った人たちはみんなの手で私たちのそばを通って外に担《かつ》ぎ出され職業の医者な人たちは十二三人も立って出て行きました。しばらくたって式場はしいんとなりました。婦人たちはみんなひどく激昂《げっこう》していましたが何分相手が異教の論難者でしたので卑怯《ひきょう》に思われない為に誰も異議を述べませんでした。シカゴの技師ははんけちで叮寧《ていねい》に口を拭《ぬぐ》ってから又云いました。
「なるほど実にビジテリアン諸氏の動物に対する同情は大きなものであります。も少し言辞に気をつけて申し上げます。ええ、犬はそれを食べます。ぐんぐん喰べます。お判《わか》りですか。又家畜を去勢します。則ち生殖に対する焦燥《しょうそう》や何かの為に費される勢力《エネルギー》を保存するようにします。さあ、家畜は肥りますよ、全く動物は一つの器械でその脚《あし》を疾《はや》くするには走らせる、肥らせるには食べさせる、卵をとるにはつるませる、乳汁をとるには子を近くに置いて子に呑ませないようにする、どうでも勝手次第なもんです。決して心配はありません。まだまだ述べたいのですが又卒倒されると困りますからここまでに致《いた》して置きます。」
その人は壇を下りました。拍手《はくしゅ》と一処に六七人の人が私どもの方から立ちまし
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