たが祭司次長が割合前の方のモオニングの若い人をさしまねきました。その人は落ち着いた風で少し微笑《わら》いながら演説しました。
「只今《ただいま》のご質問はいかにもご尤《もっとも》であります。多少御実験などもお話になりましたが実は遺憾《いかん》乍《なが》らそれはみな実験になって居りません。
動物は衝動と本能ばかりだと仰っしゃいましたがまあそうして置きます。その本能や衝動が生きたいということで一杯《いっぱい》です。それを殺すのはいけないとこれだけでお答には充分《じゅうぶん》であります。然《しか》しながら更《さら》に詳しいことは動物心理学の沢山《たくさん》の実験がこれを提供致すだろうと思います。又実は動物は本能と衝動ばかりではないのであります。今朝のパンフレットで見ましても生物は一つの大きな連続であると申されました。人間の心もちがだんだん人間に近いものから遠いものに行われて居ります。人間の苦しいことは感覚のあるものはやっぱりみんな苦しい人間の悲しいことは強い弱いの区別はあってもやっぱりどの動物も悲しいのです。仲々あのパンフレットにある豚《ぶた》のように愉快《ゆかい》には行かないのであります。飼犬《かいいぬ》が主人の少年の病死の時その墓を離れず食物もとらずとうとう餓死《がし》した有名な例、鹿《しか》や猿《さる》の子が殺されたときそれを慕《した》って親もわざと殺されることなど誰《たれ》でも知っています。馬が何年もその主人を覚えていて偶《たま》に会ったとき涙《なみだ》を流したりするのです。前論者の、ビジテリアンは人間の感情を以《もっ》て強て動物を律しようとするというのに対して、私は実に反対者たちは動物が人間と少しばかり形が違っているのに眼を欺《あざむ》かれてその本心から起って来る哀憐《あいれん》の感情をなくしているとご忠告申し上げたいのであります。誰だって自分の都合《つごう》のいいように物事を考えたいものではありますがどこ迄もそれで通るものではありません。元来私どもの感情はそう無茶苦茶に間違っているものではないのでありましてどうしても本心から起って来る心持は全く客観的に見てその通りなのであります。動物は全く可哀《かあい》そうなもんです。人もほんとうに哀《あわ》れなものです。私は全論士にも少し深く上調子でなしに世界をごらんになることを望みます。」
拍手が強く起りました。拍手の
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