行く途中《とちゅう》、あっちの小路からも、こっちの広場からも、三人四人ずついろいろな礼装をした人たちに、私たちは会いました。燕尾服《えんびふく》もあれば厚い粗羅紗《そらしゃ》を着た農夫もあり、綬《じゅ》をかけた人もあれば、スラッと瘠《や》せた若い軍医もありました。すべてこれらは、私たちの兄弟でありましたから、もう私たちは国と階級、職業とその名とをとわず、ただ一つの大きなビジテリアンの同朋《どうぼう》として、「お早う、」と挨拶《あいさつ》し「おめでとう、」と答えたのです。そして私たちは、いつかぞろぞろ列になっていました。列になって教会の門を入ったのです。一昨日《おととい》別段気にもとめなかった、小さなその門は、赤いいろの藻《そう》類と、暗緑の栂《つが》とで飾《かざ》られて、すっかり立派に変っていました。門をはいると、すぐ受付があって私たちはみんな求められて会員証を示しました。これはいかにも偏狭《へんきょう》なやり方のようにどなたもお考えでしょうが、実際今朝の反対宣伝のような訳で、どんなものがまぎれ込んで来て、何をするかもわからなかったのですから、全く仕方なかったのでありましょう。
 式場は、教会の広庭に、大きな曲馬用の天幕《テント》を張って、テニスコートなどもそのまま中に取り込んでいたようでした。とてもその人数の入るような広間は、恐《おそ》らくニュウファウンドランド全島にもなかったでしょう。
 もう気の早い信徒たちが二百人ぐらい席について待っていました。笑い声が波のように聞えました。やっぱり今朝のパンフレットの話などが多かったのでしょう。
 その式場を覆《おお》う灰色の帆布《はんぷ》は、黒い樅《もみ》の枝《えだ》で縦横に区切られ、所々には黄や橙《だいだい》の石楠花《しゃくなげ》の花をはさんでありました。何せそう云ういい天気で、帆布が半透明《はんとうめい》に光っているのですから、実にその調和のいいこと、もうこここそやがて完成さるべき、世界ビジテリアン大会堂の、陶製《とうせい》の大天井《だいてんじょう》かと思われたのであります。向うには勿論花で飾られた高い祭壇《さいだん》が設けられていました。そのとき、私は又、あの狼煙《のろし》の音を聞きました。はっと気がついて、私は急いでその音の方教会の裏手へ出て行って見ました。やっぱり陳氏でした。陳氏は小さな支那の子供の狼煙の助手も二
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