あんまり意地が悪かったのであります。
ところが、又もやのろしが教会の方であがりました。まっ青なそらで、白いけむりがパッと開き、それからトントンと音が聞えました。けむりの中から出て来たのは、今度こそ全く支那《しな》風の五色の蓮華《れんげ》の花でした。なるほどやっぱり陳氏だ、お経《きょう》にある青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光をやったんだなと、私はつくづく感心してそれを見上げました。全くその蓮華のはなびらは、ニュウファウンドランド島、ヒルテイ村ビジテリアン大祭の、新鮮な朝のそらを、かすかに光って舞《ま》い降りて来るのでした。
それから教会の方で、賑《にぎ》やかなバンドが始まりました。それが風下でしたから、手にとるように聞えました。それがいかにも本式なのです。私たちは、はじめはこれはよほど費用をかけて大陸から頼《たの》んで来たんだなと思いましたが、あとで聞きましたら、あの有名なスナイダーが私たちの仲間だったんです。スナイダーは、自分のバンド(尤《もっと》もその半数は、みんなビジテリアンだったのです、)を、そっくりつれてやはり一昨日《おととい》、ここへ着いたのだそうです。とにかく、式の始まるまでは、まだ一時間もありましたけれども、斯《こ》うにぎやかにやられては、とてもじっとして居られません、私たちは、大急ぎで二階に帰って、礼装《れいそう》をしたのです。土耳古《トルコ》人たちは、みんなまっ赤なターバンと帯とをかけ、殊《こと》に地学博士はあちこちからの勲章《くんしょう》やメタルを、その漆黒《しっこく》の上着にかけましたので全くまばゆい位でした。私は三越でこさえた白い麻《あさ》のフロックコートを着ましたが、これは勿論《もちろん》、私の好みで作法ではありません。けれども元来きものというものは、東洋風に寒さをしのぐという考《かんがえ》も勿論ですが、一方また、カーライルの云う通り、装飾《そうしょく》が第一なので結局その人にあった相当のものをきちんとつけているのが一等ですから、私は一向何とも思いませんでした。実際きものは自分のためでなく他人の為《ため》です。自分には自分の着ているものが全体見えはしませんからほかの人がそれを見て、さっぱりした気持ちがすればいいのであります。
さて私たちは宿を出ました。すると式の時間を待ち兼ねたのは、あながち私たちだけではありませんでした。教会へ
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