テリアンの主張は全然|誤謬《ごびゅう》である。今これを生物分類学的に簡単に批判して見よう。ビジテリアンたちは、動物が可哀そうだという、一体どこ迄《まで》が動物でどこからが植物であるか、牛やアミーバーは動物だからかあいそう、バクテリヤは植物だから大丈夫《だいじょうぶ》というのであるか。バクテリヤを植物だ、アミーバーを動物だとするのは、ただ研究の便宜《べんぎ》上、勝手に名をつけたものである。動物には意識があって食うのは気の毒だが、植物にはないから差し支《つか》えないというのか。なるほど植物には意識がないようにも見える。けれどもないかどうかわからない、あるようだと思って見ると又《また》実にあるようである。元来生物界は、一つの連続である、動物に考があれば、植物にもきっとそれがある。ビジテリアン諸君、植物をたべることもやめ給《たま》え。諸君は餓死する。又世界中にもそれを宣伝したまえ。二十億人がみんな死ぬ。大へんさっぱりして諸君の御希望に叶《かな》うだろう。そして、そのあとで動物や植物が、お互同志食ったり食われたりしていたら、丁度いいではないか。」
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 私はなおさら変な気がしました。
 もう一枚茶いろのもあったのです。
「ごらんになったらとりかえましょうか。」
 私は隣《とな》りの人に云いました。
「ええ、」その人はあわただしく茶いろのパンフレットをよこしました。私も私のをやったのです。それには黒くこう書いてありました。
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「◎偏狭非学術的なるビジテリアンを排せ。
ビジテリアンの主張は全然誤謬である、今これを比較解剖《ひかくかいぼう》学の立場からごく通俗的に説明しよう。人類は動物学上混食に適するようにできている。歯の形状から見てもわかる。草食獣《そうしょくじゅう》にある臼歯《きゅうし》もあれば肉食類の犬歯もある。混食をしているのが人類には一番自然である。そう出来てるのだから仕方ない。それをどう斯う云うのは恩恵《おんけい》深き自然に対して正しく叛旗《はんき》をひるがえすものである。よしたまえ、ビジテリアン諸君、あんまり陰気なおまけに子供くさい考は。」
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「ふん。今度のパンフレットはどれもかなりしっかりしてるね。いかにも誰《たれ》もやりそうな議論だ。しかしどっかやっぱり調子が変だね。」地学博士が少し顔色が青ざめて
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