》しなさんな。この事《こと》は決《けっ》してほかへはもらしませんぞ。わしがしっかりのみ込《こ》みました」
その時です、お月さまがカブンと山へおはいりになって、あたりがポカッと、うすぐらくなったのは。
今は風があんまり強いので電信柱《でんしんばしら》どもは、本線《ほんせん》の方も、軽便鉄道《けいべんてつどう》の方もまるで気が気でなく、ぐうん ぐうん ひゅうひゅう と独楽《こま》のようにうなっておりました。それでも空はまっ青《さお》に晴れていました。
本線シグナルつきの太《ふと》っちょの電信柱も、もうでたらめの歌をやるどころの話ではありません。できるだけからだをちぢめて眼《め》を細《ほそ》くして、ひとなみに、ブウウ、ブウウとうなってごまかしておりました。
シグナレスはこの時、東のぐらぐらするくらい強い青びかりの中を、びっこをひくようにして走って行く雲を見ておりましたが、それからチラッとシグナルの方を見ました。シグナルは、今日は巡査《じゅんさ》のようにしゃんと立っていましたが、風が強くて太っちょの電柱《でんちゅう》に聞こえないのをいいことにして、シグナレスに話しかけました。
「どうもひどい風ですね。あなた頭がほてって痛《いた》みはしませんか。どうも僕《ぼく》は少しくらくらしますね。いろいろお話ししますから、あなたただ頭をふってうなずいてだけいてください。どうせお返事《へんじ》をしたって僕《ぼく》のところへ届《とど》きはしませんから、それから僕の話でおもしろくないことがあったら横《よこ》の方に頭を振《ふ》ってください。これは、本当は、ヨーロッパの方のやり方なんですよ。向《む》こうでは、僕たちのように仲《なか》のいいものがほかの人に知れないようにお話をする時は、みんなこうするんですよ。僕それを向こうの雑誌《ざっし》で見たんです。ね、あの倉庫《そうこ》のやつめ、おかしなやつですね、いきなり僕たちの話してるところへ口を出して、引き受《う》けたのなんのって言《い》うんですもの、あいつはずいぶん太《ふと》ってますね、今日も眼《め》をパチパチやらかしてますよ、僕のあなたに物を言ってるのはわかっていても、何を言ってるのか風でいっこう聞こえないんですよ、けれども全体《ぜんたい》、あなたに聞こえてるんですか、聞こえてるなら頭を振ってください、ええそう、聞こえるでしょうね。僕たち早く結婚《けっこん》したいもんですね、早く春になれぁいいんですね、僕のところのぶっきりこに少しも知らせないでおきましょう。そしておいて、いきなり、ウヘン! ああ風でのどがぜいぜいする。ああひどい。ちょっとお話をやめますよ。僕のどが痛《いた》くなったんです。わかりましたか、じゃちょっとさようなら」
それからシグナルは、ううううと言いながら眼をぱちぱちさせて、しばらくの間だまっていました。
シグナレスもおとなしく、シグナルののどのなおるのを待《ま》っていました。電信柱《でんしんばしら》どもはブンブンゴンゴンと鳴り、風はひゅうひゅうとやりました。
シグナルはつばをのみこんだり、ええ、ええとせきばらいをしたりしていましたが、やっとのどの痛《いた》いのがなおったらしく、もう一ぺんシグナレスに話しかけました。けれどもこの時は、風がまるで熊《くま》のように吼《ほ》え、まわりの電信柱《でんしんばしら》どもは、山いっぱいの蜂《はち》の巣《す》をいっぺんにこわしでもしたように、ぐゎんぐゎんとうなっていましたので、せっかくのその声も、半分ばかりしかシグナレスに届《とど》きませんでした。
「ね、僕《ぼく》はもうあなたのためなら、次《つぎ》の汽車の来る時、がんばって腕《うで》を下げないことでも、なんでもするんですからね、わかったでしょう。あなたもそのくらいの決心《けっしん》はあるでしょうね。あなたはほんとうに美《うつく》しいんです、ね、世界《せかい》の中《うち》にだっておれたちの仲間《なかま》はいくらもあるんでしょう。その半分はまあ女の人でしょうがねえ、その中であなたはいちばん美しいんです。もっともほかの女の人僕よく知らないんですけれどね、きっとそうだと思うんですよ、どうです聞こえますか。僕たちのまわりにいるやつはみんなばかですね、のろまですね、僕のとこのぶっきりこが僕が何をあなたに言ってるのかと思って、そらごらんなさい、一生けん命《めい》、目をパチパチやってますよ、こいつときたら全《まった》くチョークよりも形がわるいんですからね、そら、こんどはあんなに口を曲《ま》げていますよ。あきれたばかですねえ、僕の話聞こえますか、僕の……」
「若《わか》さま、さっきから何をべちゃべちゃ言《い》っていらっしゃるのです。しかもシグナレス風情《ふぜい》と、いったい何をにやけていらっしゃるんです」
いきなり
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