げなん》がなくて困《こま》っているとこだ。ごち走《そう》してやるから来い。」云《い》ったかと思うとタネリはもうしっかり犬神《いぬがみ》に両足《りょうあし》をつかまれてちょぼんと立ち、陸地《りくち》はずんずんうしろの方へ行ってしまって自分は青いくらい波《なみ》の上を走って行くのでした。その遠ざかって行く陸地に小さな人の影《かげ》が五つ六つうごき一人は両手を高くあげてまるで気違《きちが》いのように叫《さけ》びながら渚《なぎさ》をかけまわっているのでした。
「おっかさん。もうさよなら。」タネリも高く叫《さけ》びました。すると犬神はぎゅっとタネリの足を強く握《にぎ》って「ほざくな小僧、いるかの子がびっくりしてるじゃないか。」と云ったかと思うとぽっとあたりが青ぐらくなりました。「ああおいらはもういるかの子なんぞの機嫌《きげん》を考えなければならないようになったのか。」タネリはほんとうに涙《なみだ》をこぼしました。
そのときいきなりタネリは犬神の手から砂《すな》へ投《な》げつけられました。肩《かた》をひどく打《う》ってタネリが起《お》きあがって見ましたらそこはもう海の底《そこ》で上の方は青く明くただ一とこお日さまのあるところらしく白くぼんやり光っていました。
「おい、ちょうざめ、いいものをやるぞ。出て来い。」犬神は一つの穴《あな》に向《むか》って叫びました。
タネリは小さくなってしゃがんでいました。気がついて見るとほんとうにタネリは大きな一ぴきの蟹《かに》に変《かわ》っていたのです。それは自分の両手《りょうて》をひろげて見ると両側《りょうがわ》に八本になって延《の》びることでわかりました。「ああなさけない。おっかさんの云《い》うことを聞かないもんだからとうとうこんなことになってしまった。」タネリは辛《から》い塩水《しおみず》の中でぼろぼろ涙《なみだ》をこぼしました。犬神《いぬがみ》はおかしそうに口をまげてにやにや笑《わら》ってまた云いました。「ちょうざめ、どうしたい。」するとごほごほいやなせきをする音がしてそれから「どうもきのこにあてられてね。」ととても苦《くる》しそうな声がしました。「そうか。そいつは気の毒《どく》だ。実《じつ》はね、おまえのとこに下男《げなん》がなかったもんだから今日《きょう》一人|見附《みつ》けて来てやったんだ。蟹にしておいたがね、ぴしぴし遠慮《えんり
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