列よりはも少し早く、たぶんは中隊長らしい人を先頭にだんだん橋を渡って行きました。
「どごさ行ぐのだべ。」
「水馬演習でせう。白い上着を着てゐるし、きっと裸馬だらう。」
「こっちさ来るどいゝな。」
「来るよ、きっと。大てい向ふ岸のあの草の中から出て来ます。兵隊だって誰だって気持ちのいゝ所へは来たいんだ。」
 騎兵はだんだん橋を渡り、最後の一人がぽろっと光って、それからみんな見えなくなりました。と思ふと、またこっちの袂《たもと》から一人がだくでかけて行きました。私たちはだまってそれを見送りました。
 けれども、全く見えなくなると、そのこともだんだん忘れるものです。私たちは又冷たい水に飛び込んで、小さな湾になった所を泳ぎまはったり、岩の上を走ったりしました。
 誰かが、岩の中に埋もれた小さな植物の根のまはりに、水酸化鉄の茶いろな環《わ》が、何重もめぐってゐるのを見附けました。それははじめからあちこち沢山あったのです。
「どうしてこの環、出来だのす。」
「この出来かたはむづかしいのです。膠質体《かうしつたい》のことをも少し詳しくやってからでなければわかりません。けれどもとにかくこれは電気の作用です。この環はリーゼガングの環と云ひます。実験室でもこさへられます。あとで土壌の方でも説明します。腐植質|磐層《ばんそう》といふものも似たやうなわけでできるのですから。」私は毎日の実習で疲れてゐましたので、長い説明が面倒くさくて斯《か》う答へました。
 それからしばらくたって、ふと私は川の向ふ岸を見ました。せいの高い二本のでんしんばしらが、互によりかゝるやうにして一本の腕木でつらねられてありました。そのすぐ下の青い草の崖《がけ》の上に、まさしく一人のカアキイ色の将校と大きな茶いろの馬の頭とが出て来ました。
「来た、来た、たうとうやって来た。」みんなは高く叫びました。
「水馬演習だ。向ふ側へ行かう。」斯う云ひながら、そのまっ白なイギリス海岸を上流にのぼり、そこから向ふ側へ泳いで行く人もたくさんありました。
 兵隊は一列になって、崖をなゝめに下り、中にはさきに黒い鉤《かぎ》のついた長い竿《さを》を持った人もありました。
 間もなく、みんなは向ふ側の草の生えた河原に下り、六列ばかりに横にならんで馬から下り、将校の訓示を聞いてゐました。それが中々永かったのでこっち側に居る私たちは実際あきてしまひました。いつになったら兵隊たちがみな馬のたてがみに取りついて、泳いでこっちへ来るのやらすっかり待ちあぐねてしまひました。さっき川を越えて見に行った人たちも、浅瀬に立って将校の訓示を聞いてゐましたが、それもどうも面白くて聞いてゐるやうにも見え、またつまらなさうにも見えるのでした。うるんだ夏の雲の下です。
 そのうちたうとう二隻の舟が川下からやって来て、川のまん中にとまりました。兵隊たちはいちばんはじの列から馬をひいてだんだん川へ入りました。馬の蹄《ひづめ》の底の砂利をふむ音と水のばちゃばちゃはねる音とが遠くの遠くの夢の中からでも来るやうに、こっち岸の水の音を越えてやって来ました。私たちはいまにだんだん深い処へさへ来れば、兵隊たちはたてがみにとりついて泳ぎ出すだらうと思って待ってゐました。ところが先頭の兵隊さんは舟のところまでやって来ると、ぐるっとまはって、また向ふへ戻りました。みんなもそれに続きましたので列は一つの環《わ》になりました。
「なんだ、今日はたゞ馬を水にならすためだ。」私たちはなんだかつまらないやうにも思ひましたが、亦《また》、あんな浅い処までしか馬を入れさせずそれに舟を二隻も用意したのを見てどこか大へん力強い感じもしました。それから私たちは養蚕の用もありましたので急いで学校に帰りました。
 その次には私たちはたゞ五人で行きました。
 はじめはこの前の湾のところだけ泳いでゐましたがそのうちだんだん川にもなれて来て、ずうっと上流の波の荒い瀬のところから海岸のいちばん南のいかだのあるあたりへまでも行きました。そして、疲れて、おまけに少し寒くなりましたので、海岸の西の堺《さかひ》のあの古い根株やその上につもった軽石の火山礫層《くゎざんれきそう》の処に行きました。
 その日私たちは完全なくるみの実も二つ見附けたのです。火山礫の層の上には前の水増しの時の水が、沼のやうになって処々|溜《たま》ってゐました。私たちはその溜り水から堰《せき》をこしらへて滝にしたり発電処のまねをこしらへたり、こゝはオーバアフロウだの何の永いこと遊びました。
 その時、あの下流の赤い旗の立ってゐるところに、いつも腕に赤いきれを巻きつけて、はだかに半纒《はんてん》だけ一枚着てみんなの泳ぐのを見てゐる三十ばかりの男が、一|梃《ちゃう》の鉄梃《かなてこ》をもって下流の方から溯《さかのぼ》って来るのを見ました。その人は、町から、水泳で子供らの溺《おぼ》れるのを助けるために雇はれて来てゐるのでしたが、何ぶんひまに見えたのです。今日だって実際ひまなもんだから、あゝやって用もない鉄梃なんかかついで、動かさなくてもいゝ途方もない大きな石を動かさうとして見たり、丁度私どもが遊びにしてゐる発電所のまねなどを、鉄梃まで使って本当にごつごつ岩を掘って、浮岩の層のたまり水を干さうとしたりしてゐるのだと思ふと、私どもは実は少しをかしくなったのでした。
 ですからわざと真面目《まじめ》な顔をして、
「こゝの水少し干した方いゝな、鉄梃を貸しませんか。」
と云ふものもありました。
 するとその男は鉄梃《かなてこ》でとんとんあちこち突いて見てから、
「こゝら、岩も柔いやうだな。」と云ひながらすなほに私たちに貸し、自分は又上流の波の荒いところに集ってゐる子供らの方へ行きました。すると子供らは、その荒いブリキ色の波のこっち側で、手をあげたり脚を俥屋《くるまや》さんのやうにしたり、みんなちりぢりに遁《に》げるのでした。私どもはははあ、あの男はやっぱりどこか足りないな、だから子供らが鬼のやうにこはがってゐるのだと思って遠くから笑って見てゐました。
 さてその次の日も私たちはイギリス海岸に行きました。
 その日は、もう私たちはすっかり川の心持ちになれたつもりで、どんどん上流の瀬の荒い処から飛び込み、すっかり疲れるまで下流の方へ泳ぎました。下流であがっては又野蛮人のやうにその白い岩の上を走って来て上流の瀬にとびこみました。それでもすっかり疲れてしまふと、又昨日の軽石層のたまり水の処に行きました。救助係はその日はもうちゃんとそこに来てゐたのです。腕には赤い巾《きれ》を巻き鉄梃も持ってゐました。
「お暑うござんす。」私が挨拶《あいさつ》しましたらその人は少しきまり悪さうに笑って、
「なあに、おうちの生徒さんぐらゐ大きな方ならあぶないこともないのですが一寸《ちょっと》来て見た所です。」と云ふのでした。なるほど私たちの中でたしかに泳げるものはほんたうに少かったのです。もちろん何かの張合で誰《たれ》かが溺《おぼ》れさうになったとき間違ひなくそれを救へるといふ位のものは一人もありませんでした。だんだん談《はな》して見ると、この人はずゐぶんよく私たちを考へてゐて呉《く》れたのです。救助区域はずうっと下流の筏《いかだ》のところなのですが、私たちがこの気もちよいイギリス海岸に来るのを止めるわけにも行かず、時々別の用のあるふりをして来て見てゐて呉れたのです。もっと談してゐるうちに私はすっかりきまり悪くなってしまひました。なぜなら誰でも自分だけは賢こく、人のしてゐることは馬鹿《ばか》げて見えるものですが、その日そのイギリス海岸で、私はつくづくそんな考のいけないことを感じました。からだを刺されるやうにさへ思ひました。はだかになって、生徒といっしょに白い岩の上に立ってゐましたが、まるで太陽の白い光に責められるやうに思ひました。全くこの人は、救助区域があんまり下流の方で、とてもこのイギリス海岸まで手が及ばず、それにも係はらず私たちをはじめみんなこっちへも来るし、殊に小さな子供らまでが、何べん叱《しか》られてもあのあぶない瀬の処に行ってゐて、この人の形を遠くから見ると、遁げてどての蔭や沢のはんのきのうしろにかくれるものですから、この人は町へ行って、もう一人、人を雇ふかさうでなかったら救助の浮標《ブイ》を浮べて貰《もら》ひたいと話してゐるといふのです。
 さうして見ると、昨日あの大きな石を用もないのに動かさうとしたのもその浮標の重りに使ふ心組からだったのです。おまけにあの瀬の処では、早くにも溺れた人もあり、下流の救助区域でさへ、今年になってから二人も救ったといふのです。いくら昨日までよく泳げる人でも、今日のからだ加減では、いつ水の中で動けないやうになるかわからないといふのです。何気なく笑って、その人と談《はな》してはゐましたが、私はひとりで烈《はげ》しく烈しく私の軽率を責めました。実は私はその日までもし溺《おぼ》れる生徒ができたら、こっちはとても助けることもできないし、たゞ飛び込んで行って一緒に溺れてやらう、死ぬことの向ふ側まで一緒について行ってやらうと思ってゐただけでした。全く私たちにはそのイギリス海岸の夏の一刻がそんなにまで楽しかったのです。そして私は、それが悪いことだとは決して思ひませんでした。
 さてその人と私らは別れましたけれども、今度はもう要心して、あの十間ばかりの湾の中でしか泳ぎませんでした。
 その時、海岸のいちばん北のはじまで溯《さかのぼ》って行った一人が、まっすぐに私たちの方へ走って戻って来ました。
「先生、岩に何かの足痕《あしあと》あらんす。」
 私はすぐ壺穴《つぼあな》の小さいのだらうと思ひました。第三紀の泥岩で、どうせ昔の沼の岸ですから、何か哺乳《ほにゅう》類の足痕のあることもいかにもありさうなことだけれども、教室でだって手獣《しゅじゅう》の足痕の図まで黒板に書いたのだし、どうせそれが頭にあるから壺穴までそんな工合《ぐあひ》に見えたんだと思ひながら、あんまり気乗りもせずにそっちへ行って見ました。ところが私はぎくりとしてつっ立ってしまひました。みんなも顔色を変へて叫んだのです。
 白い火山灰層のひとところが、平らに水で剥《は》がされて、浅い幅の広い谷のやうになってゐましたが、その底に二つづつ蹄《ひづめ》の痕のある大さ五寸ばかりの足あとが、幾つか続いたりぐるっとまはったり、大きいのや小さいのや、実にめちゃくちゃについてゐるではありませんか。その中には薄く酸化鉄が沈澱《ちんでん》してあたりの岩から実にはっきりしてゐました。たしかに足痕が泥につくや否や、火山灰がやって来てそれをそのまゝ保存したのです。私ははじめは粘土でその型をとらうと思ひました。一人がその青い粘土も持って来たのでしたが、蹄の痕があんまり深過ぎるので、どうもうまく行きませんでした。私は「あした石膏《せきかう》を用意して来よう」とも云ひました。けれどもそれよりいちばんいゝことはやっぱりその足あとを切り取って、そのまゝ学校へ持って行って標本にすることでした。どうせ又水が出れば火山灰の層が剥げて、新らしい足あとの出るのはたしかでしたし、今のは構はないで置いてもすぐ壊れることが明らかでしたから。
 次の朝早く私は実習を掲示する黒板に斯《か》う書いて置きました。
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     八月八日
農場実習 午前八時半より正午まで
  除草、追肥   第一、七組
  蕪菁《かぶら》播種《はしゅ》    第三、四組
  甘藍《かんらん》中耕    第五、六組
  養蚕実習    第二組
 (午后イギリス海岸に於《おい》て第三紀|偶蹄《ぐうてい》類の足跡《そくせき》標本を採収すべきにより希望者は参加すべし。)
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 そこで正直を申しますと、この小さな「イギリス海岸」の原稿は八月六日あの足あとを見つける前の日の晩宿直室で半分書いたのです。私はあの救助係の大きな石を鉄梃《かなてこ》で動かすあたりから、あとは勝手に私の空想を書いて行かうと思ってゐたのです。と
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