う皮を十一枚あすこへ漬《つ》けて置いたし、一かま分の木はもうそこにできている。こんやは新らしいポラーノの広場の開場式だ。」
「それでは酒《さあけ》を呑《のう》まずに水《みずう》を呑むぅとやるか。」その年よりが云いました。
みんなはどっとわらいました。
「よしやろう。表へ出て。おいミーロ、おれが水を汲んでくるから、きみは戸棚からコップをだせ。」
ファゼーロはバケツをさげて外へ出て行きました。
みんなはアセチレン燈をもって工場の外の芝生に出ました。
みんなは草に円くなって坐りました。ミーロはみんなにコップをわたしました。ファゼーロがバケツを重そうにさげて来て、
「さあコップを洗うんだぜ。」と云いながらみんなのコップにひしゃくで水をつぎました。
私はその水のつめたいのにふるえあがるように思いました。みんなはこちこち指でコップをあらいました。
「さあまた洗うんだぜ。」ファゼーロが云ってまた水をつぎました。
みんなは前の水を草にすててまた水をそそぎました。
「もう一ぺん洗うんだぜ。前の酒の匂がついてるからな。」ファゼーロがまた水をつぎました。
「ファゼーロ、今夜一ばんコップを洗っているのかい。」
醋酸をつくっていたさっきの年老った人が、云いました。みんなはまたどっと笑いました。
「こんどは呑むんだ。冷たいぞ。」ファゼーロはまたみんなにつぎました。コップはつめたく白くひかり風に烈しく波だちました。
「さあ呑むぞ。一二三。」みんなはぐっと呑みました。私も呑んで、がたっとふるえました。
「では僕がうたうぞ。ポラーノの広場のうた。
[#ここから3字下げ]
つめくさのはなの 終る夜は
ポランの広場の 秋まつり
ポランの広場の 秋のまつり
水を呑まずに 酒を呑む
そんなやつらが 威張っていると
ポランの広場の 夜が明けぬ
ポランの広場も 朝にならぬ。」
[#ここで字下げ終わり]
みんなはパチパチ手を叩いてわらいました。その声もすぐ風がどうっと来て、むかしのポラーノの広場の方へ持って行ってしまいました。
「おれもうたうぞ。」ミーロがたちました。
[#ここから2字下げ]
「つめくさの花の しぼむ夜は
ポランの広場の 秋まつり
ポランの広場の 秋のまつり
酒くせの悪い 山猫は
黄いろのシャツで 遠くへ遁げて
ポランの広場は 朝になる
ポランの広場は 夜が明ける。」
[#ここで字下げ終わり]
「さあぼくも歌うぞ。」
(原稿数行空白)
「さあ叫ぼう。あたらしいポラーノの広場のために。ばんざーい。」わたくしは帽子を高くふって叫びました。
「ばんざあい。」
そして私たちはまっ黒な林を通りぬけて、さっきの柏《かしわ》の疎林《そりん》を通り古いポラーノの広場につきました。
そこにはいつものはんのきが風にもまれるたびに青くひかっていました。
わたくしどもの影はアセチレンの灯に黒く長くみだれる草の波のなかに落ちて、まるでわたくしどもは一人ずつ巨きな川を行く汽船のような気がしました。
いつものところへ来てわたくしどもは別れました。そこにほんの小さなつめくさのあかりが一つまたともっていました。わたくしはそれを摘《つ》んで、えりにはさみました。
「それではさよなら。また行きますよ。」ファゼーロは云いながら、みんなといっしょに帽子をふりました。みんなも何か叫んだようでしたが、それはもう風にもって行かれてきこえませんでした。そしてわたくしもあるき、みんなも向うへ行って、その青い、風のなかのアセチレンの灯と黒い影がだんだん小さくなったのです。
それからちょうど七年たったのです。ファゼーロたちの組合は、はじめはなかなかうまく行かなかったのでしたが、それでもどうにか面白く続けることができたのでした。
私はそれから何べんも遊びに行ったり相談のあるたびに友だちにきいたりして、それから三年の後には、とうとうファゼーロたちは立派な一つの産業組合をつくり、ハムと皮類と醋酸とオートミールはモリーオの市やセンダードの市はもちろん、広くどこへも出るようになりました。そして私はその三年目、仕事の都合でとうとうモリーオの市を去るようになり、わたくしはそれから大学の副手にもなりましたし農事試験場の技手もしました。そして昨日この友だちのない、にぎやかながら荒《す》さんだトキーオの市のはげしい輪転機の音のとなりの室で、わたくしの受持ちになる五十行の欄に、なにかものめずらしい博物の出来事をうずめながら一通の郵便を受けとりました。
それは一つの厚い紙へ刷ってみんなで手に持って歌えるようにした楽譜でした。それには歌がついていました。
[#ここから5字下げ]
ポラーノの広場のうた
つめくさ灯ともす 夜のひろば
むかしのラルゴを うたいかわし
雲をもどよもし 夜風にわすれて
とりいれまぢかに 年ようれぬ
まさしきねがいに いさかうとも
銀河のかなたに ともにわらい
なべてのなやみを たきぎともしつつ
はえある世界を ともにつくらん
[#ここで字下げ終わり]
わたくしはその譜はたしかにファゼーロがつくったのだとおもいました。
なぜなら、そこにはいつもファゼーロが野原で口笛を吹いていた、その調子がいっぱいにはいっていたからです。けれどもその歌をつくったのはミーロかロザーロか、それとも誰か、わたくしには見わけがつきませんでした。
底本:「銀河鉄道の夜・風の又三郎・ポラーノの広場 ほか三編 天沢退二郎編」講談社文庫、講談社
入力:白川由紀子
校正:須藤
2002年1月4日公開
2005年10月18日修正
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