の卓に書類を載せて鬚《ひげ》の立派な一人の警部らしい人が、たったいまあくびをしたところだというふうに目をぱちぱちしながら、こっちを見ていました。
「そこへお掛けなさい。」
 わたくしは警部の前に会釈して坐りました。
「君がレオーノ・キュースト君か。」警部は云いました。
「そうです。」
「職業、官吏、位階十八等官、年齢、本籍、現住、この通りかね。」警部はわたしの名やいろいろ書いた書類を示しました。
「そうです。」
「では訊《たず》ねるが、君はテーモ氏の農夫ファゼーロをどこへかくしたか。」
「農夫のファゼーロ?」わたくしは首をひねりました。
「農夫だ。十六歳以上は子どもでも農夫だ。」警部は面倒くさそうに云いました。
「君はファゼーロをどこかへかくしているだろう。」
「いいえ、わたくしは一昨夜競馬場の西で別れたきりです。」
「偽《うそ》を云うとそれも罪に問うぞ。」
「いいえ。そのときは二十日の月も出ていましたし野原はつめくさのあかりでいっぱいでした。」
「そんなことが証拠《しょうこ》になるか。そんなことまでおれたちは書いていられんのだ。」
「偽だとお考えになるならどこなりとお探しくださればわかります。」
「さがすさがさんはこっちの考えだ。お前がかくしたろう。」
「知りません。」
「起訴するぞ。」
「どうでも。」二人は顔を見合せました。
「では訊ねるが君はどういうことでファゼーロと知り合いになったか。」
「ファゼーロがわたくしの遁げた山羊をつかまえてくれましたので。」
「うん。それはいつ、どこでだ。」
「五月のしまいの日曜、二十七日でしたかな。」
「うん。二十七日。どこでだ。」
「あれは何という道路ですか。教会の横から、村へ出る道路を一キロばかり行った辺です。」
「うん。おまえは二十七日の晩ファゼーロと連れだって村の園遊会へ闖入《ちんにゅう》したなあ。」
「闖入というわけではありませんでした。明るくていろいろの音がしますので行って見たのです。」
「それからどうした。」
「それからわたくしどもが酒を呑まんと云いますとテーモが怒ったのです。」
「テーモはお前とはいつから知り合いか。」
「ファゼーロと知り合いになったときです。そのときテーモはファゼーロが仕事に行く時間をわたくしが邪魔したといって革むちをわたくしの顔の前で鳴らしました。」
「それだけか。」
「はい。」
「園遊会でそれからどういうことになったか。」
 わたくしはそこであのポラーノの広場での出来事を全部話しました。一人はそれをどんどん書きとりました。警部が云いました。
「きみはファゼーロの居ないことをさっきまで知らなかったか。」
「はい。」
「何か証拠を挙げられるか。」
「はい、ええ、昨日と今日役所での仕事をごらん下さればわかります。わたくしはあれですっかりかたが着いたと思ってせいせいして働いていたのであります。」
「それも証拠にはならん。おい、君、白っぱくれるのもいい加減にしたまえ。テーモ氏から捜索願が出ているのだ。いま君がありかを云えば内分で済むのだ。でなけぁ、きみの為にならんぜ。」
「どうも全く知らないのです。まあ、あなたがたもご商売でしょうが、わたくしの声や顔付きをよくごらんください。これでおわかりにならんのですか。」わたくしは少ししゃくにさわって一息に云いました。
 すると二人はまた顔を見合せました。ええもうなるようになれとわたくしはまた云いました。
「なぜわたくしより前にデストゥパーゴを呼び出してくださらんのです。誰が考えてもファゼーロの居ないのはデストゥパーゴのしわざです。まさか殺しはしますまいが。」
「デストゥパーゴ氏は居らん。」
 わたくしはどきっとしました。ああファゼーロは本気かあるいは間ちがって殺されたのかもしれない。警部が云いました。
「お前の申し立てはいろいろの点でテーモ氏の申し立てとちがっている。しかしわれわれはそれは当然だろうと考える。いま調書を読むから君の云ったところとちがった所がないかよくききたまえ。」一人は読みはじめました。
「ちがいありません。」私はファゼーロのことを考えながら上の空で答えました。
「ここへ署名したまえ。」
 わたくしは書類のはじへ書きました。もうどうしても心配で心配でたまらなくなったのです。
「では帰ってよろしい。明日また呼ぶから。」警部は云いました。
 わたくしはたまらなくなりました。
「ファゼーロはどうしたんです。なぜデストゥパーゴをつかまえんのです。」
「それを君が云うことはならん。」
「だってファゼーロはどうしたんです。」
「そんなに心配なら君もさがしたまえ。さあ帰り給え。」
 二人はもう疲れて早くやめたいという風でした。わたくしはもうあかりのついていた警察署を夢中で飛びだしました。すると出口の桜の幹に、その青い夕方のもやのなかに、ロザーロがしょんぼりよりかかって、かなしそうに遠いそらを見ていました。わたくしは思わずかけよりました。
「あなたはロザーロさんですね。わたくしはどこへさがしに行ったらいいでしょう。」
 ロザーロが下を見ながら云いました。
「きっと遠くでございますわ。もし生きていれば。」
「わたくしがいけなかったんです。けれどもきっとさがしますから。」
「ええ。」
「デストゥパーゴはいないんですか。」
「いないんです。」
「馬車別当は?」
「見ませんでした。」
「あなたのご主人は知っていないんですか。」
「ええ。」
「捜索願をわざと出したのでしょう。」
「いいえ。警察からも人が来てしらべたのです。」
「あなたはこれから主人のとこへお帰りになるんですか。」
「ええ。」
「そこまでご一緒いたしましょう。」
 わたくしどもはあるきだしました。わたくしはいろいろ話しかけて見ましたが、ロザーロはどうしてもかなしそうで一言か二言しか返事しませんので、わたくしはどうしてももっと立ち入ってファゼーロと二人のことに立ち入ることができませんでした。そしてこの前山羊をつかまえた所まで来ますと、ロザーロは、
「もうじきですから。」と云ってじぶんからおじぎをして行ってしまいました。
 わたくしはさびしさや心配で胸がいっぱいでした。そしてその晩から毎晩毎晩野原にファゼーロをさがしに出ました。日曜日にはひるも出ました。ことにこの前ファゼーロと別れた辺からテーモの家までの間に何か落ちてないかと思ってさがしたり、つめくさの花にデストゥパーゴやファゼーロのあしあとがついていないかと思って見てまわったり、デストゥパーゴの家から何か物音がきこえないかと思って幾晩も幾晩もそのまわりをあるいたりしました。
 前の二本の樺の木のあたりからポラーノの広場へも何べんも行きました。そのうちにつめくさの花はだんだん枯れて茶いろになり、ポラーノの広場のはんの木には、ちぎれて色のさめたモールが幾本かかかっているだけ、ミーロにさえも会いませんでした。警察からはあと呼び出しがありませんでしたので、こっちから出て行ってどうなったかきいたりしましたが警察ではファゼーロもデストゥパーゴも、まだ手がかりはないが心配もなかろうというようなことばかり云うのでした。そしてわたくしも、どういうわけか、なれたのですか、つかれたのですか、ファゼーロはファゼーロで、ちゃんとどこかにいるというような気がしてきたのです。

       五、センダード市の毒蛾

 そしてだんだん暑くなってきました。役所では窓に黄いろな日覆《ひおおい》もできましたし隣りの所長の室には電気会社から寄贈になった直径七デシもある大きな扇風機も据《す》えつけられました。あまり暑い日の午後などは所長が自分で立って間の扉をあけて、
「さあ諸君、少し風にあたりたまえ。」なんて云ったものです。
 すると大扇風機から風がどうどうやって来ました。尤《もっと》も私の席はその風の通り路からすこし外れていましたから格別涼しかったわけでもありませんでしたが、それでも向うの書類やテーブルかけが、ぱたぱた云っているのを見るのは実際愉快なことでした。それでもそんな仕事のあいまに、ふっとファゼーロのことを思いだすと、胸がどかっと熱くなってもうどうしたらいいかわからなくなるのでした。とにかくその七月いっぱいに私のした仕事は、
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一、北極熊|剥製《はくせい》方をテラキ標本製作所に照会の件
一、ヤークシャ山頂火山弾運搬費用|見積《みつもり》の件
一、植物標本|褪色《たいしょく》調査の件
一、新番号札二千三百枚調製の件
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 などでした。
 そして八月に入りました。その八月二日の午すぎ、わたくしが支那漢時代の石に刻んだ画の説明をうつらうつら写していましたら、給仕がうしろからいきなりわたくしの首すじを突っついて、
「所長さんが来いって。」といいました。
 わたくしはすこしむっとしてふり返りましたら給仕はまた威張って云いました。
「所長さんがすぐ来いって。」
 わたくしは返事もしないでだまってみんなの椅子のうしろを通り、例の扉をあけて恭※[#二の字点、1−2−22]しくはいって行きました。
 所長は肥った白い手首に※[#「月+咢」、第3水準1−90−51]をもたせて扇風機にあたりながら新聞を見ていましたが、わたくしが行くとだるそうにちょっと眼をあげて、それから机の上の紙挾みから一枚の命令書をわたくしによこしました。それには、
「海岸鳥類の卵採集の為に八月三日より二十八日間イーハトーヴォ海岸地方に出張を命ず。」
 と書いてありました。わたくしはまるでほくほくしてしまいました。
 あのイーハトーヴォの岩礁の多い奇麗《きれい》な海岸へ行って今ごろありもしない卵をさがせというのはこれは慰労《いろう》休暇のつもりなのだ。それほどわたくしが所長にもみんなにも働いていると思われていたのか、ありがたいありがたいと心の中で雀躍《じゃくやく》しました。すると所長は私の顔は少しも見ないで、やっぱり新聞を見ながら、
「会計へまわって見積《みつもり》旅費を受けとるように。」と一言だけ云いました。
 わたくしは叮嚀《ていねい》に礼をして室を出ました。それからその辞令をみんなに一人ずつ見せて挨拶してあるき、おしまいに会計に行きましたら、会計の老人はちょっと渋い顔付きはしていましたが、だまってわたくしの印を受け取って大きな紙幣を八枚も渡してくれました。ほかに役所の大きな写真器械や双眼鏡も借りました。うちへ帰ると、わたくしは持っていたレコードをみんな町の古時計屋へ売ってしまいました。そして大きなへりのついたパナマの帽子と卵いろのリンネルの服を買いました。
 次の朝わたくしは番小屋にすっかりかぎをおろし、一番の汽車でイーハトーヴォ海岸の一番北のサーモの町に立ちました。その六十里の海岸を町から町へ、岬《みさき》から岬へ、岩礁《がんしょう》から岩礁へ、海藻《かいそう》を押葉にしたり、岩石の標本をとったり、古い洞穴や模型的な地形を写真やスケッチにとったり、そしてそれを次々に荷造りして役所へ送りながら、二十幾日の間にだんだん南へ移って行きました。海岸の人たちはわたくしのような下給の官吏でも大へん珍らしがって、どこへ行っても歓迎してくれました。沖の岩礁へ渡ろうとすると、みんなは船に赤や黄の旗を立てて十六人もかかって櫓《ろ》をそろえて漕いでくれました。夜にはわたくしの泊った宿の前でかがりをたいて、いろいろな踊りを見せたりしてくれました。たびたびわたくしはもうこれで死んでいいと思いました。けれどもファゼーロ、あの暑い野原のまんなかでいまも毎日はたらいているうつくしいロザーロ、そう考えて見るといまわたくしの眼のまえで一日一ぱいはたらいてつかれたからだを、踊ったりうたったりしている娘たちや若者たち、わたくしは何べんも強く頭をふって、さあ、われわれはやらなければならないぞ、しっかりやるんだぞ、みんなのために、とひとりでこころに誓いました。
 そして八月三十日の午ごろ、わたくしは小さな汽船でとなりの県のシオーモの港に着き、そこから汽車でセンダードの市に行
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