きました。
(ああ、あのときなぜわたくしはそのままうちへ帰ってねむったろう、なぜそんなわたくしが立っても居てもいられないはずの時刻に、わけもわからない眠りかたなどしていたろう。それにあのやさしいうつくしいロザーロがいま隣りの室でおどされたり鎌《かま》をかけられたりしているのだ。)
わたくしはたまらなくなってその室のなかをぐるぐる何べんもあるきました。窓の外の桜の木の向うをいろいろの人が行ったり来たりしました。わたくしはその一人一人がデストゥパーゴかファゼーロのような気がしてたまりませんでした。鳥打帽子を深くかぶった少年が通るとファゼーロが遁げてここをそっと通るのかと思い、肥った人を見るとデストゥパーゴがわざとそんな形にばけて、様子をさぐっているのだと思いました。突然わたくしは頭がしいんとなってしまいました。隣りの室でかすかなすすり泣きの声がして、それからそれは何とかだっと叫びながらおどかすように足をどんとふみつけているのです。わたくしはあぶなく扉をあけて飛び込もうとしました。するとまたしばらくしずかになっていましたが間もなく扉のとってが力なくがちっとまわって、ロザーロが眼を大きくあいてよろめくようにでてきました。
わたくしは何といっていいかわからなくてどぎまぎしてしまいました。するとロザーロがだまってしずかにおじぎをして私の前を通り抜けて外へ出て行きました。気がついて見るとロザーロのあとからさっきの警部か巡査からしい人が扉から顔を出して出て行くのを見ていたのです。わたくしがそっちを見ますと、その顔はひっこんで扉はしまってしまいました。中ではこんどは山猫博士の馬車別当が何か訊かれているようすで、たびたび、何か高声でどなりつけるたびに馬車別当のおろおろした声がきこえていました。わたくしはその間にすっかり考えをまとめようと思いましたが、何もかもごちゃごちゃになってどうしてもできませんでした。とにかくすっかり打ち明けて係りへ話すのがいちばんだと考えて、もうじっとすわって落ち着いて居りました。すると間もなくさっきの扉が、がじゃっとあいて馬車別当がまっ青になってよろよろしながら出てきました。
「第十八等官、レオーノ・キュースト氏はあなたですか。」さっきの人がまた顔を出して云いました。
「そうです。」
「では、こっちへ。」
わたくしははいって行きました。そこには、も一人正面の卓に書類を載せて鬚《ひげ》の立派な一人の警部らしい人が、たったいまあくびをしたところだというふうに目をぱちぱちしながら、こっちを見ていました。
「そこへお掛けなさい。」
わたくしは警部の前に会釈して坐りました。
「君がレオーノ・キュースト君か。」警部は云いました。
「そうです。」
「職業、官吏、位階十八等官、年齢、本籍、現住、この通りかね。」警部はわたしの名やいろいろ書いた書類を示しました。
「そうです。」
「では訊《たず》ねるが、君はテーモ氏の農夫ファゼーロをどこへかくしたか。」
「農夫のファゼーロ?」わたくしは首をひねりました。
「農夫だ。十六歳以上は子どもでも農夫だ。」警部は面倒くさそうに云いました。
「君はファゼーロをどこかへかくしているだろう。」
「いいえ、わたくしは一昨夜競馬場の西で別れたきりです。」
「偽《うそ》を云うとそれも罪に問うぞ。」
「いいえ。そのときは二十日の月も出ていましたし野原はつめくさのあかりでいっぱいでした。」
「そんなことが証拠《しょうこ》になるか。そんなことまでおれたちは書いていられんのだ。」
「偽だとお考えになるならどこなりとお探しくださればわかります。」
「さがすさがさんはこっちの考えだ。お前がかくしたろう。」
「知りません。」
「起訴するぞ。」
「どうでも。」二人は顔を見合せました。
「では訊ねるが君はどういうことでファゼーロと知り合いになったか。」
「ファゼーロがわたくしの遁げた山羊をつかまえてくれましたので。」
「うん。それはいつ、どこでだ。」
「五月のしまいの日曜、二十七日でしたかな。」
「うん。二十七日。どこでだ。」
「あれは何という道路ですか。教会の横から、村へ出る道路を一キロばかり行った辺です。」
「うん。おまえは二十七日の晩ファゼーロと連れだって村の園遊会へ闖入《ちんにゅう》したなあ。」
「闖入というわけではありませんでした。明るくていろいろの音がしますので行って見たのです。」
「それからどうした。」
「それからわたくしどもが酒を呑まんと云いますとテーモが怒ったのです。」
「テーモはお前とはいつから知り合いか。」
「ファゼーロと知り合いになったときです。そのときテーモはファゼーロが仕事に行く時間をわたくしが邪魔したといって革むちをわたくしの顔の前で鳴らしました。」
「それだけか。」
「はい。」
「園遊会でそ
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