っついて、
「所長さんがすぐ来いって。」と云いました。
わたくしはすぐペンを置いてみんなの椅子の間を通り、間の扉をあけて所長室にはいりました。
すると所長は一枚の紙きれを持って扉をあける前から恐い顔つきをして、わたくしの方を見ていましたが、わたくしが前に行って恭《うやうや》しく礼をすると、またじっとわたくしの様子を見てからだまってその紙切れを渡しました。見ると、
[#天から3字下げ]イ警第三二五六号 聴取の要有之本日午後三時本警察署人事係まで出頭致され度《た》し
[#地から3字上げ]イーハトーヴォ警察署[#地より3字上げ]
[#天から6字下げ]一九二七年六月廿九日
[#天から1字下げ]第十八等官レオーノ・キュースト殿
とあったのです。
ああ、あのデストゥパーゴのことだな、これはおもしろいと、わたくしは心のなかでわらいました。すると所長はまだわたくしの顔付きをだまってみていましたが、
「心当りがあるか。」と云いました。
「はい、ございます。」わたくしはまっすぐ両手を下げて答えました。
所長は安心したようにやっと顔つきをゆるめて、ちらっと時計を見上げましたが、
「よし、すぐ行くように。」と云いました。
わたくしはまたうやうやしく礼をして室を出ました。それから席へ戻って机の上をかたづけて、そっと役所を出かけました。巨きな桜の街路樹の下をあるいて行って、警察の赤い煉瓦造りの前に立ちましたら、さすがにわたくしもすこしどきどきしました。けれども何も悪いことはないのだからと、じぶんでじぶんをはげまして勢よく玄関の正面の受付にたずねました。
「お呼びがありましたので参りましたが、レオーノ・キューストでございます。」
すると受付の巡査はだまって帳面を五六枚繰っていましたが、
「ああ失踪《しっそう》者の件だね、人事係のとこへ、その左の方の入口からはいって待っていたまえ。」と云いました。
失踪者の件というのは何のことだろう、決闘の件とでも云うならわかっているし、その決闘なら刃の円くなった食卓ナイフでやったことなのだ、デストゥパーゴが血を出したかどうかもわからない、まあ何かの間違いだろうと思いながら、わたくしは室へ入って行きました。そこはがらんとした、窓の七つばかりある広い室でしたが、その片隅みにあの山猫博士の馬車別当が、からだを無暗《むやみ》にこわばらして、じつに青ざめた変な顔をしながら腰かけて待って居りました。
「やあ、じいさん、今日は、あなたも呼ばれたんですか。」わたくしはそばへ行ってわらいながら挨拶《あいさつ》しました。
するとじいさんは、こんな悪者と話し合ってはどんな眼にあうかわからないというように、うろうろどこか遁げ口でもさがすように立ちあがって、またべったり坐りました。
「あなたのご主人はいらっしゃらないのですか。」わたくしはまたたずねました。
「いらっしゃらないともさ。」じいさんはやっと云いましたが、それからがたがたふるえました。
「いったいどうしたんですか。」わたくしはまだわらってききました。
「いま調べられてるんだよ。」
「誰が。」わたくしはびっくりしてたずねました。
「ロザーロがさ。」
「ロザーロ、どうして?」もうわたくしはすっかり本気になってしまいました。
「ファゼーロが居なくなったからさ。」
「ファゼーロ?」思わずわたくしは高く叫びました。
ああ、あの晩ファゼーロが帰る途中で何かあったのだな、……。
「話しすることはならん。」
いきなり奥の扉が、がたっとあきました。
「召喚《しょうかん》人はお互話しすることはならん。おい、おまえはこっちへはいって居ろ。」
じいさんは呼ばれてよろよろ立って次の室へ行きました。そう云われて見ると、なるほど次の室ではロザーロが誰かに調べられているらしく、さっきからしずかに何か繰り返し繰り返し云って居るような気もしました。わたくしはまるで胸が迫ってしまいました。
ファゼーロが居ない、ファゼーロが居ない、あの青い半分の月のあかりのなかで争って勝ったあとのあの何とも云われないきびしい気持をいだきながら、ファゼーロがつめくさのあおじろいあかりの上に影を長く長く引いて、しょんぼりと帰って行った、そこには麻の夏外套のえりを立てたデストゥパーゴが三四人の手下を連れて待ち伏せしている、ファゼーロがそれを見て立ちどまると向うは笑いながらしずかにそばへ追って来る、いきなり一人がファゼーロを撲りつける、みんなたかって来て、むだに手をふりまわすファゼーロをふんだりけったりする、ファゼーロは動かなくなる、デストゥパーゴがそれをまためちゃくちゃにふみつける、ええ、もう仕方ない持ってけ持ってけとデストゥパーゴが云う、みんなはそれを乾溜工場のかまの中に入れる、わたくしはひとりでかんがえてぞっとして眼をひら
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