わたくしもそっちをすかして見てよろよろして眼をこすりました。そこには何の木か七八本の木がじぶんのからだからひとりで光でも出すように青くかがやいて、そこらの空もぼんやり明るくなっているのでした。
「ファゼーロかい。」いきなり向うから声がしました。
「ああ、来たよ。やっているかい。」
「やってるよ。とてもにぎやかなんだ。山猫博士も来ているようだぜ。」
「山猫博士?」ファゼーロはぎくっとしたようでした。
「けれどもいっしょに行こう。ポラーノの広場は誰だって見附けた人は行っていいんだから。」
「よし行こう。」ファゼーロははっきり云いました。
 わたくしどもはそのあかりをめあてにあるいて行きました。
 ミーロもファゼーロも何か大へん心配なようでした。さっぱり物も云わなくなってしまったのです。そうなるとこんどはわたくしが元気がついて来ました。一体昔ばなしの通りのことが本当にあるのだろうか、それとも何かほかのことだろうか、山猫博士がここへ来て何をしているのだろうか。もうどうしても行って見たくてたまらなくなりました。殊にその日はわたくしはまだ俸給の残りを半分以上もっていましたし、もしお金を払わなければならないとしてもファゼーロとミーロにご馳走するぐらい大丈夫だと考えたのです。
「いいよ、こんどはね、わたしについて来るんだよ。山猫博士なんか少しもこわいことはないんだから。」
 わたくしはもうまっさきに立ってどんどん急ぎました。甲虫の翅の音はいよいよ高くなり青い木はその一つ一つの枝まではっきり見えて来ました。木の下では白いシャツや黒い影やみんながちらちら行ったり来たりしています。誰かの片手をあげて何か云っているのも見えました。
 いよいよ近くなってわたくしは、これこそはもうほんもののポラーノの広場だと思ってしまいました。さっきの青いのは可成《かなり》大きなはんの木でしたが、その梢からはたくさんのモールが張られてその葉まできらきらひかりながらゆれていました。その上にはいろいろな蝶や蛾が列になってぐるぐるぐるぐる輪をかいていたのです。
 うつくしい夏のそらには銀河がいまわたくしどもの来た方からだんだんそっちへまわりかけて、南のまっくろな地平線の上のあたりではぼんやり白く爆発したようになっていました。つめくさのかおりやら何かさまざまの果物のかおり、みんなの笑い声、そのうちにとうとうみんなは組になって踊りだしました。七八人のようではありましたが、たしかにもうほんもののオーケストラが愉快そうなワルツをやりはじめました。一まわり踊りがすむとみんなはばらばらになってコップをとりました。そしてわあわあ叫びながら呑みほしています。その叫びは気のせいか、デストゥパーゴ万歳というようにもきこえました。
「あれが山猫博士だな。」ファゼーロが向うの卓にひとり坐って、がぶがぶ酒を呑んでいる黄いろの縞のシャツと赤皮の上着を着た肩はばのひろい男を指さしました。
 誰か六七人コンフェットウや紐を投げましたので、それは雪のように花のようにきらきら光りながらそこらに降りました。
 わたくしどもはもう広場の前まで来て立ちどまりました。
 ちょうどそのときデストゥパーゴがコップをもって立ちあがりました。
「おいおい給仕、なぜおれには酒を注がんか。」
 すると白い服を着た給仕が周章《あわ》てて走り寄りました。
「はいはい相済みません。坐っておいでだったもんですからつい。」
「坐っておいでになっても立っておいでになっても、我輩《わがはい》は我輩じゃないか。おっとよろしい。諸君は我輩のために乾杯しようというんだな。よしよし、プ、プ、プロージット。」
 そこでみんなは呑みほしました。
 わたくしは臆《おく》してしまって、もう帰ろうかとも思いましたが、さっきファゼーロたちにあんなことを云ったものですから立っていることも遁《に》げることもできませんでした。どうなるかなるようになれと思い切って二人をつれて帽子をとりながら、あかりの中へはいりました。するとみんなは一ぺんにさわぎをやめて怪げんそうな顔つきでわたくしどもを見ました。それからデストゥパーゴの方を見ました。
 するとデストゥパーゴはちょっと首をまげて考えました。どうもわたくしのことを見たことはあるが考え出せないという風でした。するとそばへ一人の夏フロックコートを着た男が行って何か耳うちしました。デストゥパーゴは不機嫌そうな一べつをわたくしに与えてから仕方なさそうにうなずきました。
 するとやはりフロックを着てテーモが来ていました。そのテーモが柄のついたガラスの杯を三つもって来て、だまってわたくしからミーロ、ファゼーロと渡しました。ファゼーロに渡しながらだまってにらみつけました。ファゼーロはたじたじ後退《あとずさ》りしました。給仕がそばからレッテ
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