、ありがとう。ファゼーロも帰って来てすっかりもとの通りですね。」
「山猫博士が居ませんや。」
「山猫博士? デストゥパーゴ? デストゥパーゴにわたしはセンダードで会いましたよ。大へんおちぶれて気の毒なくらいだった。」
「いいえ、デストゥパーゴが落ちぶれるもんですか。大将、センダードのまちにたくさん土地を持っていますよ。」
「はてな、財産はみんなあの乾溜会社にかけてしまったと云っていたが。」
「どうして、どうして、あの山猫がそんなことをするもんですか。会社の株が、ただみたいになったから大将遁げてしまったんです。」
「いや、何か重役の人が醸造の方へかかろうとして手続を欠いて責任を負ったとか云っていたが。」
「どうしてどうして。酒をつくることなんかみんな大将の考えなんですよ。」
「だって試験的にわずかつくっただけだそうじゃないですか。」
「あなたはよっぽどうまくだまされておいでですよ。あの工場からアセトンだと云って樽《たる》詰めにして出したのはみんな立派な混成酒でさあ。悪いのには木精もまぜたんです。その密造なら二年もやっていたんです。」
「じゃポラーノの広場で使ったのもそれか。」
「そうですとも。いや何と云っても大将はずるいもんですよ。みんなにも弱味があるから、まあこのまま泣寝入でさあ。ただまああの工場をこんどはみんなでいろいろに使って、できるだけお互いのいるものは拵えようというんです。」
「そうかねえ。」「ファゼーロが何かするのかい。」
「ええ、まあ別に新らしい資本がかかるわけでもなし、革をなめしたりハムを拵えたり、栗を蒸して乾かしたり、そんなことをいろいろやろうというんです。」
「さあもう行こう。」ファゼーロがわたくしをつっつきました。
「それじゃまた。」
「お休みなさい。」
 どうもデストゥパーゴの云ったのが本当か、みんなの云うのが本当か、これはどうもよくわからないと、わたくしはあるきだしながらおもいました。
「まっすぐだよ、まっすぐだよ。わたくしはあれからもう何べんも来てわかっているから。」
 わたくしはファゼーロの近くへ行って風の中で聞えるように云いました。ファゼーロはかすかにうなずいて、また走りだしました。夕暗のなかにその白いシャツばかりぼんやりゆれながら走りました。
 間もなくわたくしははるかな野原のはてに青白い五つばかりのあかりと、その上に青く傘のようにな
前へ 次へ
全48ページ中41ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング