かなくちゃ。」
 ファゼーロは走り出しました。ロザーロは、もいちどわたくしどもに挨拶して、そのあとから急いで行きました。ミーロはだまって北の方を向いて耳にたなごころをあてていました。わたくしはポラーノの広場というのはこういう場所をそのまま云うのだ、馬車別当だのミーロだのまだ夢からさめないんだと思いながら云いました。
「ミーロ、おまえの歌は上手だよ。わざわざ、ポラーノの広場まで習いに行かなくてもいいや。じゃさよなら。」
 ミーロは、ていねいにおじぎをしました。わたくしはそしてそのうつくしい野原を、胸いっぱいに蜂蜜のかおりを吸いながら、わたくしの家の方へ帰ってきました。

       三、ポラーノの広場

 それからちょうど五日目の火曜日の夕方でした。その日はわたくしは役所で死んだ北極熊を剥製《はくせい》にするかどうかについてひどく仲間と議論をして大へんむしゃくしゃしていましたから、少し気を直すつもりで酒石酸《しゅせきさん》をつめたい水に入れて呑んでいましたら、ずうっと遠くですきとおった口笛が聞えました。その調子はたしかにあのファゼーロの山羊をつれて来たり野原を急いで行ったりする気持そっくりなので、わたくしは思わず、とうとう来たな、とつぶやきました。
 やっぱりファゼーロでした。まだわたくしがその酒石酸のコップを呑みほさないうちに、もう顔をまっ赤にして戸口に立っていました。
「わかったよ、とうとう。僕ゆうべ行くみちへすっかり方角のしるしをつけて置いた。地図で見てもわかるんだ。今夜ならもう間違いなくポラーノの広場へ行ける。ミーロはひるのうちから行っていてぼくらを迎えに出る約束なんだ。ぼく行って見て、ほんとうだったら、あしたはもうみんなつれて行くんだ。」
 わたくしも釣り込まれて胸を躍《おど》らせました。
「そうかい、わたしも行こう。どんななりして行ったらいいかねえ。どんな人が来てるだろうねえ。」
「どんななりでもいいじゃないか。早く行こう。来てる人が誰だか、ぼくもわからないんだ。」
 わたくしは大急ぎでネクタイを結んで新らしい夏帽子を被《かぶ》って外へ出ました。わたくしどもがこの前別れたところへ来たころは丁度夕方の青いあかりが、つめくさにぼんやり注いでいて、その葉の爪《つめ》の痕《あと》のやうな紋《もん》も、もう見えなくなりかかったときでした。ファゼーロは爪立てをしてし
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