まっていましたが、とうとうこらえきれないらしく、
「おい、おれ歌うからな。」と云いだしました。
 ファゼーロはそれどころではないようすでしたが、わたくしは前からミーロは歌がうまいだろうと思っていたので手を叩きました。ミーロは上着やシャツの上のぼたんをはずして息をすこし吸いました。
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「いのししむしゃのかぶとむし
つきのあかりもつめくさの
ともすあかりも眼に入らず
めくらめっぽに飛んで来て
山猫|馬丁《ばてい》につきあたり
あわててひょろひょろ
落ちるをやっとふみとまり
いそいでかぶとをしめなおし
月のあかりもつめくさの
ともすあかりも目に入らず
飛んでもない方に飛んで行く。」
[#ここで字下げ終わり]
 ところが、そのじいさんの行った方から細い高い声で、
「ファゼーロ、ファゼーロ。」と呼んでいるようすです。
「ああ、姉さん、いま行くよ。」ファゼーロがそっちへ向いて高く叫びました。向うの声はやみました。
「だめだなあ、きっと旦那が呼んでるんだ。早く森まで行ってみればよかったねえ。」
 ミーロが俄かに勢がついて早口に云いました。
「大丈夫だよ。おれはね、どうもあの馬車|別当《べっとう》だの町の乾物屋のおやじだの、あやしいと思っていたんだ。このごろはいつでも酔っているんだ、きっとあいつらがポラーノの広場を知ってるぜ。それにおれは野原でおかしな風に枯草を積んだ荷馬車に何べんもあってるんだ。ファゼーロ、お前ね、なんにも知らないふりして今夜はうちへ帰って寝ろ。おれはきっと五六日のうちにポラーノの広場をさがすから。」
「そうかい。ぼくにはよくわからないなあ。」
 そのときまた声がしました。
「ファゼーロ、おいで。お使いに町へ行くんだって。」
「ああいま行くよ。ぼくは旦那のとこへまっすぐに行くんだが、おまえはひとりで競馬場へ帰れるかい。」
「帰れるとも、ここらはひるまならたびたび来るとこなんだ。じゃ、地図はあげるよ。」
「うん、ミーロへやってこう。ぼくひるは野原へ来るひまがないんだから。」
 そのとき向うのつめくさの花と月のあかりのなかに、うつくしい娘が立っていました。ファゼーロが云いました。
「姉さん、この人だよ。ぼく地図をもらったよ。」
 その娘はこっちへ出てこないで、だまっておじぎをしました。わたくしもだまっておじぎをしました。
「じゃ、さよなら、早く行
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