え。」
「この赤と白の斑《ぶち》は私はいつでも昔《むかし》の海賊《かいぞく》のチョッキのような気がするんですよ。ね。
 それからこれはまっ赤《か》な羽二重《はぶたえ》のコップでしょう。この花びらは半ぶんすきとおっているので大へん有名《ゆうめい》です。ですからこいつの球《きゅう》はずいぶんみんなで欲《ほ》しがります。」
「ええ、全《まった》く立派《りっぱ》です。赤い花は風で動《うご》いている時よりもじっとしている時のほうがいいようですね。」
「そうです。そうです。そして一寸《ちょっと》あいつをごらんなさい。ね。そら、その黄いろの隣《とな》りのあいつです。」
「あの小さな白いのですか。」
「そうです、あれは此処《ここ》では一番大切なのです。まあしばらくじっと見詰《みつ》めてごらんなさい。どうです、形のいいことは一等《いっとう》でしょう。」
 洋傘《ようがさ》直しはしばらくその花に見入ります。そしてだまってしまいます。
「ずいぶん寂《しず》かな緑《みどり》の柄《え》でしょう。風にゆらいで微《かす》かに光っているようです。いかにもその柄が風に靱《しな》っているようです。けれども実《じつ》は少しも動いておりません。それにあの白い小さな花は何か不思議《ふしぎ》な合図を空に送《おく》っているようにあなたには思われませんか。」
 洋傘直しはいきなり高く叫《さけ》びます。
「ああ、そうです、そうです、見えました。
 けれども何だか空のひばりの羽の動かしようが、いや鳴きようが、さっきと調子《ちょうし》をちがえてきたではありませんか。」
「そうでしょうとも、それですから、ごらんなさい。あの花の盃《さかずき》の中からぎらぎら光ってすきとおる蒸気《じょうき》が丁度《ちょうど》水へ砂糖《さとう》を溶《とか》したときのようにユラユラユラユラ空へ昇《のぼ》って行くでしょう。」
「ええ、ええ、そうです。」
「そして、そら、光が湧《わ》いているでしょう。おお、湧きあがる、湧きあがる、花の盃《さかずき》をあふれてひろがり湧きあがりひろがりひろがりもう青ぞらも光の波《なみ》で一ぱいです。山脈《さんみゃく》の雪も光の中で機嫌《きげん》よく空へ笑《わら》っています。湧きます、湧きます。ふう、チュウリップの光の酒《さけ》。どうです。チュウリップの光の酒。ほめて下さい。」
「ええ、このエステルは上等《じょうとう》です。とても合成《ごうせい》できません。」
「おや、エステルだって、合成だって、そいつは素敵《すてき》だ。あなたはどこかの化学《かがく》大学校を出た方ですね。」
「いいえ、私はエステル工学校の卒業生《そつぎょうせい》です。」
「エステル工学校。ハッハッハ。素敵だ。さあどうです。一杯《いっぱい》やりましょう。チュウリップの光の酒。さあ飲《の》みませんか。」
「いや、やりましょう。よう、あなたの健康《けんこう》を祝《しゅく》します。」
「よう、ご健康を祝します。いい酒です。貧乏《びんぼう》な僕《ぼく》のお酒はまた一層《いっそう》に光っておまけに軽《かる》いのだ。」
「けれどもぜんたいこれでいいんですか。あんまり光が過《す》ぎはしませんか。」
「いいえ心配《しんぱい》ありません。酒があんなに湧きあがり波を立てたり渦《うず》になったり花弁《かべん》をあふれて流《なが》れてもあのチュウリップの緑《みどり》の花柄《かへい》は一寸《ちょっと》もゆらぎはしないのです。さあも一つおやりなさい。」
「ええ、ありがとう。あなたもどうです。奇麗《きれい》な空じゃありませんか。」
「やりますとも、おっと沢山《たくさん》沢山。けれどもいくらこぼれたところでそこら一面《いちめん》チュウリップ酒《しゅ》の波だもの。」
「一面どころじゃありません。そらのはずれから地面《じめん》の底《そこ》まですっかり光の領分《りょうぶん》です。たしかに今は光のお酒が地面の腹《はら》の底《そこ》までしみました。」
「ええ、ええ、そうです。おや、ごらんなさい、向《むこ》うの畑《はたけ》。ね。光の酒に漬《つか》っては花椰菜《はなやさい》でもアスパラガスでも実《じつ》に立派《りっぱ》なものではありませんか。」
「立派ですね。チュウリップ酒で漬《つ》けた瓶詰《びんづめ》です。しかし一体ひばりはどこまで逃《に》げたでしょう。どこまで逃げて行ったのかしら。自分で斯《こ》んな光の波《なみ》を起《おこ》しておいてあとはどこかへ逃げるとは気取《きど》ってやがる。あんまり気取ってやがる、畜生《ちくしょう》。」
「まったくそうです。こら、ひばりめ、降《お》りて来い。ははぁ、やつ、溶《と》けたな。こんなに雲もない空にかくれるなんてできないはずだ。溶けたのですよ。」
「いいえ、あいつの歌なら、あの甘《あま》ったるい歌なら、さっきから光の中に溶
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