けていましたがひばりはまさか溶けますまい。溶けたとしたらその小さな骨《ほね》を何かの網《あみ》で掬《すく》い上げなくちゃなりません。そいつはあんまり手数です。」
「まあそうですね。しかしひばりのことなどはまあどうなろうと構《かま》わないではありませんか。全体《ぜんたい》ひばりというものは小さなもので、空をチーチクチーチク飛《と》ぶだけのもんです。」
「まあ、そうですね、それでいいでしょう。ところが、おやおや、あんなでもやっぱりいいんですか。向うの唐檜《とうひ》が何だかゆれて踊《おど》り出すらしいのですよ。」
「唐檜ですか。あいつはみんなで、一小隊《いっしょうたい》はありましょう。みんな若《わか》いし擲弾兵《グレナデーア》です。」
「ゆれて踊っているようですが構いませんか。」
「なあに心配《しんぱい》ありません。どうせチュウリップ酒《しゅ》の中の景色《けしき》です。いくら跳《は》ねてもいいじゃありませんか。」
「そいつは全《まった》くそうですね。まあ大目に見ておきましょう。」
「大目に見ないといけません。いい酒だ。ふう。」
「すももも踊り出しますよ。」
「すももは墻壁仕立《しょうへきじたて》です。ダイアモンドです。枝《えだ》がななめに交叉《こうさ》します。一中隊はありますよ。義勇《ぎゆう》中隊です。」
「やっぱりあんなでいいんですか。」
「構《かま》いませんよ。それよりまああの梨《なし》の木どもをご覧《らん》なさい。枝《えだ》が剪《き》られたばかりなので身体《からだ》が一向《いっこう》釣《つ》り合いません。まるで蛹《さなぎ》の踊《おど》りです。」
「蛹踊《さなぎおどり》とはそいつはあんまり可哀《かわい》そうです。すっかり悄気《しょげ》て化石《かせき》してしまったようじゃありませんか。」
「石になるとは。そいつはあんまりひどすぎる。おおい。梨の木。木のまんまでいいんだよ。けれども仲々《なかなか》人の命令《めいれい》をすなおに用いるやつらじゃないんです。」
「それより向《むこ》うのくだものの木の踊りの環《わ》をごらんなさい。まん中に居《い》てきゃんきゃん調子《ちょうし》をとるのがあれが桜桃《おうとう》の木ですか。」
「どれですか。あああれですか。いいえ、あいつは油桃《つばいもも》です。やっぱり巴丹杏《はたんきょう》やまるめろの歌は上手《じょうず》です。どうです。行って仲間《なかま》にはいりましょうか。行きましょう。」
「行きましょう。おおい。おいらも仲間に入れろ。痛《いた》い、畜生《ちくしょう》。」
「どうかなさったのですか。」
「眼《め》をやられました。どいつかにひどく引っ掻《か》かれたのです。」
「そうでしょう。全体《ぜんたい》駄目《だめ》です。どいつも満足《まんぞく》の手のあるやつはありません。みんなガリガリ骨《ほね》ばかり、おや、いけない、いけない、すっかり崩《くず》れて泣《な》いたりわめいたりむしりあったりなぐったり一体あんまり冗談《じょうだん》が過《す》ぎたのです。」
「ええ、斯《こ》う世《よ》の中が乱《みだ》れては全《まった》くどうも仕方《しかた》ありません。」
「全くそうです。そうら。そら、火です、火です。火がつきました。チュウリップ酒《しゅ》に火がはいったのです。」
「いけない、いけない。はたけも空もみんなけむり、しろけむり。」
「パチパチパチパチやっている。」
「どうも素敵《すてき》に強い酒《さけ》だと思いましたよ。」
「そうそう、だからこれはあの白いチュウリップでしょう。」
「そうでしょうか。」
「そうです。そうですとも。ここで一番|大事《だいじ》な花です。」
「ああ、もうよほど経《た》ったでしょう。チュウリップの幻術《げんじゅつ》にかかっているうちに。もう私は行かなければなりません。さようなら。」
「そうですか、ではさようなら。」
 洋傘《ようがさ》直しは荷物《にもつ》へよろよろ歩いて行き、有平糖《あるへいとう》の広告《こうこく》つきのその荷物を肩《かた》にし、もう一度《いちど》あのあやしい花をちらっと見てそれからすももの垣根《かきね》の入口にまっすぐに歩いて行きます。
 園丁《えんてい》は何だか顔が青ざめてしばらくそれを見送《みおく》りやがて唐檜《とうひ》の中へはいります。
 太陽《たいよう》はいつかまた雲の間にはいり太い白い光の棒《ぼう》の幾条《いくすじ》を山と野原とに落《おと》します。



底本:「インドラの網」角川文庫、角川書店
   1996(平成8)年4月25日初版発行
   1996(平成8)年6月20日再版発行
底本の親本:「【新】校本宮澤賢治全集 第九巻 童話2[#「2」はローマ数字、1−13−22] 本文篇」筑摩書房
   1995(平成7)年6月
入力:土屋隆
校正:川山隆
2008年
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