れ。
おいらはひとりなんだから。」
鳥は、ついておいでというように、蘆のなかから飛びだして、南の青いそらの板に、射られた矢のようにかけあがりました。タネリは、青い影法師《かげぼうし》といっしょに、ふらふらそれを追いました。かたくりの花は、その足もとで、たびたびゆらゆら燃えましたし、空はぐらぐらゆれました。鳥は俄かに羽をすぼめて、石ころみたいに、枯草の中に落ちては、またまっすぐに飛びあがります。タネリも、つまずいて倒れてはまた起きあがって追いかけました。鳥ははるかの西に外《そ》れて、青じろく光りながら飛んで行きます。タネリは、一つの丘をかけあがって、ころぶようにまたかけ下りました。そこは、ゆるやかな野原になっていて、向うは、ひどく暗い巨《おお》きな木立でした。鳥は、まっすぐにその森の中に落ち込みました。タネリは、胸を押《おさ》えて、立ちどまってしまいました。向うの木立が、あんまり暗くて、それに何の木かわからないのです。ひばよりも暗く、榧《かや》よりももっと陰気で、なかには、どんなものがかくれているか知れませんでした。それに、何かきたいな怒鳴《どな》りや叫びが、中から聞えて来るのです。タネリは、いつでも遁《に》げられるように、半分うしろを向いて、片足を出しながら、こわごわそっちへ叫んで見ました。
「鴇、鴇、おいらとあそんでおくれ。」
「えい、うるさい、すきなくらいそこらであそんでけ。」たしかにさっきの鳥でないちがったものが、そんな工合《ぐあい》にへんじしたのでした。
「鴇、鴇、だから出てきておくれ。」
「えい、うるさいったら。ひとりでそこらであそんでけ。」
「鴇、鴇、おいらはもう行くよ。」
「行くのかい。さよなら、えい、畜生《ちくしょう》、その骨汁《ほねじる》は、空虚《から》だったのか。」
タネリは、ほんとうにさびしくなって、また藤《ふじ》の蔓《つる》を一つまみ、噛《か》みながら、もいちど森を見ましたら、いつの間にか森の前に、顔の大きな犬神みたいなものが、片っ方の手をふところに入れて、山梨《やまなし》のような赤い眼《め》をきょろきょろさせながら、じっと立っているのでした。タネリは、まるで小さくなって、一目さんに遁げだしました。そしていなずまのようにつづけざまに丘を四つ越《こ》えました。そこに四本の栗の木が立って、その一本の梢には、立派なやどりぎのまりがついていました。それはさっきのやどりぎでした。いかにもタネリをばかにしたように、上できらきらひかっています。タネリは工合のわるいのをごまかして、
「栗の木、起きろ。」と云いながら、うちの方へあるきだしました。日はもう、よっぽど西にかたよって、丘には陰影《かげ》もできました。かたくりの花はゆらゆらと燃え、その葉の上には、いろいろな黒いもようが、次から次と、出てきては消え、でてきては消えしています。タネリは低く読みました。
「太陽《てんとう》は、
丘の髪毛《かみけ》の向うのほうへ、
かくれて行ってまたのぼる。
そしてかくれてまたのぼる。」
タネリは、つかれ切って、まっすぐにじぶんのうちへもどって来ました。
「白樺《しらかば》の皮、剥《は》がして来たか。」タネリがうちに着いたとき、タネリのお母《っか》さんが、小屋の前で、こならの実を搗《つ》きながら云いました。
「うんにゃ。」タネリは、首をちぢめて答えました。
「藤蔓みんな噛じって来たか。」
「うんにゃ、どこかへ無くしてしまったよ。」タネリがぼんやり答えました。
「仕事に藤蔓噛みに行って、無くしてくるものあるんだか。今年はおいら、おまえのきものは、一つも編んでやらないぞ。」お母《っか》さんが少し怒って云いました。
「うん。けれどもおいら、一日噛んでいたようだったよ。」
タネリが、ぼんやりまた云いました。
「そうか。そんだらいい。」お母《っか》さんは、タネリの顔付きを見て、安心したように、またこならの実を搗きはじめました。
底本:「ポラーノの広場」新潮文庫、新潮社
1995(平成7)年2月1日発行
底本の親本:「新修宮沢賢治全集」筑摩書房
入力:久保格
校正:鈴木厚司
2003年8月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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