《かみ》から戻つて来ました。今度はゆつくり落ちついて、ひれも尾も動かさずたゞ水にだけ流されながらお口を環《わ》のやうに円くしてやつて来ました。その影は黒くしづかに底の光の網の上をすべりました。
『お魚は……。』
 その時です。俄《にはか》に天井に白い泡がたつて、青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲|弾《だま》のやうなものが、いきなり飛込んで来ました。
 兄さんの蟹ははつきりとその青いもののさきがコンパスのやうに黒く尖《とが》つてゐるのも見ました。と思ふうちに、魚の白い腹がぎらつと光つて一ぺんひるがへり、上の方へのぼつたやうでしたが、それつきりもう青いものも魚のかたちも見えず光の黄金《きん》の網はゆらゆらゆれ、泡はつぶつぶ流れました。
 二疋はまるで声も出ず居すくまつてしまひました。
 お父さんの蟹《かに》が出て来ました。
『どうしたい。ぶるぶるふるへてゐるぢやないか。』
『お父さん、いまをかしなものが来たよ。』
『どんなもんだ。』
『青くてね、光るんだよ。はじがこんなに黒く尖つてるの。それが来たらお魚が上へのぼつて行つたよ。』
『そいつの眼が赤かつたかい。』
『わからない。』
『ふうん。しかし、そいつは鳥だよ。かはせみと云ふんだ。大丈夫だ、安心しろ。おれたちはかまはないんだから。』
『お父さん、お魚はどこへ行つたの。』
『魚かい。魚はこはい所へ行つた』
『こはいよ、お父さん。』
『いゝいゝ、大丈夫だ。心配するな。そら、樺《かば》の花が流れて来た。ごらん、きれいだらう。』
 泡と一緒に、白い樺の花びらが天井をたくさんすべつて来ました。
『こはいよ、お父さん。』弟の蟹も云ひました。
 光の網はゆらゆら、のびたりちゞんだり、花びらの影はしづかに砂をすべりました。

二、十二月

 蟹《かに》の子供らはもうよほど大きくなり、底の景色も夏から秋の間にすつかり変りました。
 白い柔かな円石もころがつて来小さな錐《きり》の形の水晶の粒や、金雲母《きんうんも》のかけらもながれて来てとまりました。
 そのつめたい水の底まで、ラムネの瓶《びん》の月光がいつぱいに透とほり天井では波が青じろい火を、燃したり消したりしてゐるやう、あたりはしんとして、たゞいかにも遠くからといふやうに、その波の音がひゞいて来るだけです。
 蟹の子供らは、あんまり月が明るく水がきれいなので睡《ねむ》らないで外に出て、
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