ひのきとひなげし
宮沢賢治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)髪《かみ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一生|合唱手《コーラス》だわ

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(例)[#ここから2字下げ]
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 ひなげしはみんなまっ赤に燃えあがり、めいめい風にぐらぐらゆれて、息もつけないようでした。そのひなげしのうしろの方で、やっぱり風に髪《かみ》もからだも、いちめんもまれて立ちながら若いひのきが云《い》いました。
「おまえたちはみんなまっ赤な帆船《ほぶね》でね、いまがあらしのとこなんだ」
「いやあだ、あたしら、そんな帆船やなんかじゃないわ。せだけ高くてばかあなひのき。」ひなげしどもは、みんないっしょに云いました。
「そして向うに居るのはな、もうみがきたて燃えたての銅《あかがね》づくりのいきものなんだ。」
「いやあだ、お日さま、そんなあかがねなんかじゃないわ。せだけ高くてばかあなひのき。」ひなげしどもはみんないっしょに叫《さけ》びます。
 ところがこのときお日さまは、さっさっさっと大きな呼吸を四五へんついてるり色をした山に入ってしまいました。
 風が一そうはげしくなってひのきもまるで青黒馬《あおうま》のしっぽのよう、ひなげしどもはみな熱病にかかったよう、てんでに何かうわごとを、南の風に云ったのですが風はてんから相手にせずどしどし向うへかけぬけます。
 ひなげしどもはそこですこうししずまりました。東には大きな立派な雲の峰《みね》が少し青ざめて四つならんで立ちました。
 いちばん小さいひなげしが、ひとりでこそこそ云いました。
「ああつまらないつまらない、もう一生|合唱手《コーラス》だわ。いちど女王《スター》にしてくれたら、あしたは死んでもいいんだけど。」
 となりの黒斑《くろぶち》のはいった花がすぐ引きとって云いました。
「それはもちろんあたしもそうよ。だってスターにならなくたってどうせあしたは死ぬんだわ。」
「あら、いくらスターでなくってもあなたの位立派ならもうそれだけで沢山《たくさん》だわ。」
「うそうそ。とてもつまんない。そりゃあたしいくらかあなたよりあたしの方がいいわねえ。わたしもやっぱりそう思ってよ。けどテクラさんどうでしょう。まるで及《およ》びもつかないわ。青いチョッキの虻《あぶ》さんでも黄のだんだらの蜂《はち》めまでみなまっさきにあっちへ行くわ。」
 向うの葵《あおい》の花壇《かだん》から悪魔《あくま》が小さな蛙《かえる》にばけて、ベートーベンの着たような青いフロックコートを羽織りそれに新月よりもけだかいばら娘《むすめ》に仕立てた自分の弟子《でし》の手を引いて、大変あわてた風をしてやって来たのです。
「や、道をまちがえたかな。それとも地図が違《ちが》ってるか。失敗。失敗。はて、一寸《ちょっと》聞いて見よう。もしもし、美容術のうちはどっちでしたかね。」
 ひなげしはあんまり立派なばらの娘を見、又《また》美容術と聞いたので、みんなドキッとしましたが、誰《たれ》もはずかしがって返事をしませんでした。悪魔の蛙がばらの娘に云いました。
「ははあ、この辺のひなげしどもはみんなつんぼか何かだな。それに全然無学だな。」
 娘にばけた悪魔の弟子はお口をちょっと三角にしていかにもすなおにうなずきました。
 女王《スター》のテクラが、もう非常な勇気で云いました。
「何かご用でいらっしゃいますか。」
「あ、これは。ええ、一寸《ちょっと》おたずねいたしますが、美容院はどちらでしょうか。」
「さあ、あいにくとそういうところ存じませんでございます。一体それがこの近所にでもございましょうか。」
「それはもちろん。現に私のこのむすめなど、前は尖《とが》ったおかしなもんでずいぶん心配しましたがかれこれ三度助手のお方に来ていただいてすっかり術をほどこしましてとにかく今はあなた方ともご交際なぞ願えばねがえるようなわけ、あす紐育《ニューヨーク》に連れてでますのでちょっとお礼に出ましたので。では。」
「あ、一寸。一寸お待ち下さいませ。その美容術の先生はどこへでもご出張なさいますかしら。」
「しましょうな」
「それでは誠《まこと》になんですがお序《つい》での節、こちらへもお廻《まわ》りねがえませんでしょうか。」
「そう。しかし私はその先生の書生というでもありません。けれども、しかしとにかくそう云いましょう。おい。行こう。さよなら。」
 悪魔は娘の手をひいて、向うのどてのかげまで行くと片眼《かため》をつぶって云いました。
「お前はこれで帰ってよし。そしてキャベジと鮒《ふな》とをな灰で煮込《にこ》んでおいてくれ。ではおれは今度は医者だから。」といいながらすっかり小さな白い鬚《ひげ》の医者にばけました。悪魔の弟子はさっそく大きな雀《すずめ》の形になってぼろんと飛んで行きました。
 東の雲のみねはだんだん高く、だんだん白くなって、いまは空の頂上まで届くほどです。
 悪魔は急いでひなげしの所へやって参りました。
「ええと、この辺じゃと云われたが、どうも門へ標札《ひょうさつ》も出してないというようなあんばいだ。一寸たずねますが、ひなげしさんたちのおすまいはどの辺ですかな。」
 賢《かしこ》いテクラがドキドキしながら云いました。
「あの、ひなげしは手前どもでございます。どなたでいらっしゃいますか。」
「そう、わしは先刻|伯爵《はくしゃく》からご言伝《ことづて》になった医者ですがね。」
「それは失礼いたしました。椅子《いす》もございませんがまあどうぞこちらへ。そして私共は立派になれましょうか。」
「なりますね。まあ三服でちょっとさっきのむすめぐらいというところ。しかし薬は高いから。」
 ひなげしはみんな顔色を変えてためいきをつきました。テクラがたずねました。
「一体どれ位でございましょう。」
「左様。お一人が五ビルです。」
 ひなげしはしいんとしてしまいました。お医者の悪魔もあごのひげをひねったまましいんとして空をみあげています。雲のみねはだんだん崩《くず》れてしずかな金いろにかがやき、そおっと、北の方へ流れ出しました。
 ひなげしはやっぱりしいんとしています。お医者もじっとやっぱりおひげをにぎったきり、花壇の遠くの方などはもうぼんやりと藍《あい》いろです。そのとき風が来ましたのでひなげしどもはちょっとざわっとなりました。
 お医者もちらっと眼《め》をうごかしたようでしたがまもなくやっぱり前のようしいんと静まり返っています。
 その時一番小さいひなげしが、思い切ったように云いました。
「お医者さん。わたくしおあしなんか一文もないのよ。けども少したてばあたしの頭に亜片《あへん》ができるのよ。それをみんなあげることにしてはいけなくって。」
「ほう。亜片かね。あんまり間には合わないけれどもとにかくその薬はわしの方では要《い》るんでね。よし。いかにも承知した。証文を書きなさい。」
 するとみんながまるで一ぺんに叫びました。
「私もどうかそうお願いいたします。どうか私もそうお願い致《いた》します。」
 お医者はまるで困ったというように額に皺《しわ》をよせて考えていましたが、
「仕方ない。よかろう。何もかもみな慈善《じぜん》のためじゃ。承知した。証文を書きなさい。」
 さあ大変だあたし字なんか書けないわとひなげしどもがみんな一諸《いっしょ》に思ったとき悪魔のお医者はもう持って来た鞄《かばん》から印刷にした証書を沢山出しました。そして笑って云いました。
「ではそのわしがこの紙をひとつぱらぱらめくるからみんないっしょにこう云いなさい。
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亜片はみんな差しあげ候《そうろう》と、」
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 まあよかったとひなげしどもはみんないちどにざわつきました。お医者は立って云いました。
「では」ぱらぱらぱらぱら、
「亜片はみんな差しあげ候。」
「よろしい。早速薬をあげる。一服、二服、三服とな。まずわたしがここで第一服の呪文《じゅもん》をうたう。するとここらの空気にな。きらきら赤い波がたつ。それをみんなで呑《の》むんだな。」
 悪魔のお医者はとてもふしぎないい声でおかしな歌をやりました。
「まひるの草木と石土を 照らさんことを怠《おこた》りし 赤きひかりは集《つど》い来てなすすべしらに漂《ただよ》えよ。」
 するとほんとうにそこらのもう浅黄《あさぎ》いろになった空気のなかに見えるか見えないような赤い光がかすかな波になってゆれました。ひなげしどもはじぶんこそいちばん美しくなろうと一生けん命その風を吸いました。
 悪魔のお医者はきっと立ってこれを見渡《みわた》していましたがその光が消えてしまうとまた云いました。
「では第二服 まひるの草木と石土を 照らさんことを怠りし 黄なるひかりは集い来てなすすべしらに漂えよ」
 空気へうすい蜜《みつ》のような色がちらちら波になりました。ひなげしはまた一生けん命です。
「では第三服」とお医者が云おうとしたときでした。
「おおい、お医者や、あんまり変な声を出してくれるなよ。ここは、セントジョバンニ様のお庭だからな。」ひのきが高く叫びました。
 その時風がザァッとやって来ました。ひのきが高く叫びました。
「こうらにせ医者。まてっ。」
 すると医者はたいへんあわてて、まるでのろしのように急に立ちあがって、滅法界《めっぽうかい》もなく大きく黒くなって、途方《とほう》もない方へ飛んで行ってしまいました。その足さきはまるで釘抜《くぎぬ》きのように尖《とが》り黒い診察鞄《しんさつかばん》もけむりのように消えたのです。
 ひなげしはみんなあっけにとられてぽかっとそらをながめています。
 ひのきがそこで云いました。
「もう一足でおまえたちみんな頭をばりばり食われるとこだった。」
「それだっていいじゃあないの。おせっかいのひのき」
 もうまっ黒に見えるひなげしどもはみんな怒《おこ》って云いました。
「そうじゃあないて。おまえたちが青いけし坊主《ぼうず》のまんまでがりがり食われてしまったらもう来年はここへは草が生えるだけ、それに第一スターになりたいなんておまえたち、スターて何だか知りもしない癖《くせ》に。スターというのはな、本当は天井《てんじょう》のお星さまのことなんだ。そらあすこへもうお出になっている。もすこしたてばそらいちめんにおでましだ。そうそうオールスターキャストというだろう。オールスターキャストというのがつまりそれだ。つまり双子《ふたご》星座様は双子星座様のところにレオーノ様はレオーノ様のところに、ちゃんと定《さだ》まった場所でめいめいのきまった光りようをなさるのがオールスターキャスト、な、ところがありがたいもんでスターになりたいなりたいと云っているおまえたちがそのままそっくりスターでな、おまけにオールスターキャストだということになってある。それはこうだ。聴《き》けよ。
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あめなる花をほしと云い
この世の星を花という。」
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「何を云ってるの。ばかひのき、けし坊主なんかになってあたしら生きていたくないわ。おまけにいまのおかしな声。悪魔のお方のとても足もとにもよりつけないわ。わあい、わあい、おせっかいの、おせっかいの、せい高ひのき」
 けしはやっぱり怒っています。
 けれども、もうその顔もみんなまっ黒に見えるのでした。それは雲の峯がみんな崩れて牛みたいな形になり、そらのあちこちに星がぴかぴかしだしたのです。
 ひなげしは、みな、しいんとして居《お》りました。
 ひのきは、まただまって、夕がたのそらを仰ぎました。
 西のそらは今はかがやきを納め、東の雲の峯はだんだん崩れて、そこからもう銀いろの一つ星もまたたき出しました。



底本:「新編 銀河鉄道の夜」新潮文庫、新潮社
   1989(平成元)年6月15日発行
   1994(平成6)年6月5日13刷
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2005年1月26日作成
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