っちへ一寸手を延ばしたのでした。
五、峠
「楢夫」と一郎は叫んだと思ひましたら俄《には》かに新しいまっ白なものを見ました。それは雪でした。それから青空がまばゆく一郎の上にかかってゐるのを見ました。
「息|吐《つい》だぞ。眼|開《あ》ぃだぞ。」一郎のとなりの家の赤髯《あかひげ》の人がすぐ一郎の頭のとこに曲《かが》んでゐてしきりに一郎を起さうとしてゐたのです。そして一郎ははっきり眼を開きました。楢夫を堅く抱いて雪に埋まってゐたのです。まばゆい青ぞらに村の人たちの顔や赤い毛布や黒の外套《ぐわいたう》がくっきりと浮んで一郎を見下してゐるのでした。
「弟ぁなぢょだ。弟ぁ。」犬の毛皮を着た猟師が高く叫びました。となりの人は楢夫の腕をつかんで見ました。一郎も見ました。
「弟ぁわがなぃよだ。早ぐ火|焚《た》げ」となりの人が叫びました。
「火焚ぃでわがなぃ。雪さ寝せろ。寝せろ。」
猟師が叫びました。一郎は扶《たす》けられて起されながらも一度楢夫の顔を見ました。その顔は苹果《りんご》のやうに赤くその唇はさっき光の国で一郎と別れたときのまゝ、かすかに笑ってゐたのです。けれどもその眼はとぢそ
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