ひました。けれども二人の間にもこまかな雪がいっぱいに降ってゐました。
「馬もきっと坂半分ぐらゐ登ったな。叫んで見べが。」
「うん。」
「いゝが、一二三、ほおお。」
 声がしんと空へ消えてしまひました。返事もなくこだまも来ずかへってそらが暗くなって雪がどんどん舞ひおりるばかりです。
「さあ、歩《あ》べ。あと三十分で下りるにい。」
 一郎はまたあるきだしました。
 にはかに空のほうでヒィウと鳴って風が来ました。雪はまるで粉のやうにけむりのやうに舞ひあがりくるしくて息もつかれずきもののすきまからはひやひやとからだにはひりました。兄弟は両手を顔にあてて立ちどまってゐましたがやっと風がすぎたので又あるき出さうとするときこんどは前より一そうひどく風がやって来ました。その音はおそろしい笛のやう、二人のからだも曲げられ足もとをさらさら雪の横にながれるのさへわかりました。
 たうげのいたゞきはまったくさっき考へたのとはちがってゐたのです。楢夫はあんまりこゝろぼそくなって一郎にすがらうとしました。またうしろをふりかへっても見ました。けれども一郎は風がやむとすぐ歩き出しましたし、うしろはまるで暗く見えましたから楢夫はほんたうに声を立てないで泣くばかりよちよち兄に追ひ付いて進んだのです。
 雪がもう沓《くつ》のかゝと一杯でした。ところどころには吹き溜《だま》りが出来てやっとあるけるぐらゐでした。それでも一郎はずんずん進みました。楢夫もそのあしあとを一生けん命ついて行きました。一郎はたびたびうしろをふりかへってはゐましたがそれでも楢夫はおくれがちでした。風がひゅうと鳴って雪がぱっとつめたいけむりをあげますと、一郎は少し立ちどまるやうにし楢夫は小刻みに走って兄に追ひすがりました。
 けれどもまだその峯みちを半分も来ては居りませんでした。吹きだまりがひどく大きくなってたびたび二人はつまづきました。
 一郎は一つの吹きだまりを越えるとき、思ったより雪が深くてたうとう足をさらはれて倒れました。一郎はからだや手やすっかり雪になって軋《きし》るやうに笑って起きあがりましたが楢夫はうしろに立ってそれを見てこはさに泣きました。
「大丈夫だ。楢夫、泣ぐな。」一郎は云ひながら又あるきました。けれどもこんどは楢夫がころびました。そして深く雪の中に手を入れてしまって急に起きあがりもできずおじぎのときのやうに頭をさげ
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