かしわばやしの夜
宮沢賢治

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)日暮《ひぐ》れ

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)絵の具|箱《ばこ》
−−

 清作は、さあ日暮《ひぐ》れだぞ、日暮れだぞと云《い》いながら、稗《ひえ》の根もとにせっせと土をかけていました。
 そのときはもう、銅《あかがね》づくりのお日さまが、南の山裾《やますそ》の群青《ぐんじょう》いろをしたとこに落ちて、野はらはへんにさびしくなり、白樺《しらかば》の幹などもなにか粉を噴《ふ》いているようでした。
 いきなり、向うの柏《かしわ》ばやしの方から、まるで調子はずれの途方《とほう》もない変な声で、
「欝金《うこん》しゃっぽのカンカラカンのカアン。」とどなるのがきこえました。
 清作はびっくりして顔いろを変え、鍬《くわ》をなげすてて、足音をたてないように、そっとそっちへ走って行きました。
 ちょうどかしわばやしの前まで来たとき、清作はふいに、うしろからえり首をつかまれました。
 びっくりして振《ふ》りむいてみますと、赤いトルコ帽《ぼう》をかぶり、鼠《ねずみ》いろのへんなだぶだぶの着ものを着て、靴《くつ》をはいた無暗《むやみ》にせいの高い眼《め》のするどい画《え》かきが、ぷんぷん怒《おこ》って立っていました。
「何というざまをしてあるくんだ。まるで這《は》うようなあんばいだ。鼠のようだ。どうだ、弁解のことばがあるか。」
 清作はもちろん弁解のことばなどはありませんでしたし、面倒臭《めんどうくさ》くなったら喧嘩《けんか》してやろうとおもって、いきなり空を向いて咽喉《のど》いっぱい、
「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン。」とどなりました。するとそのせ高の画かきは、にわかに清作の首すじを放して、まるで咆《ほ》えるような声で笑いだしました。その音は林にこんこんひびいたのです。
「うまい、じつにうまい。どうです、すこし林のなかをあるこうじゃありませんか。そうそう、どちらもまだ挨拶《あいさつ》を忘れていた。ぼくからさきにやろう。いいか、いや今晩は、野はらには小さく切った影法師《かげぼうし》がばら播《ま》きですね、と。ぼくのあいさつはこうだ。わかるかい。こんどは君だよ。えへん、えへん。」と云いながら画かきはまた急に意地悪い顔つきになって、斜《なな》めに上の方から軽べつしたように清
次へ
全9ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング