ック》の中で夢《ゆめ》よりもしずかに話しました。
 「ねえ、雲がまたお日さんにかかるよ。そら向《む》こうの畑《はたけ》がもう陰《かげ》になった」
 「走って来る、早いねえ、もうから松《まつ》も暗《くら》くなった。もう越《こ》えた」
 「来た、来た。おおくらい。急《きゅう》にあたりが青くしんとなった」
 「うん、だけどもう雲が半分お日さんの下をくぐってしまったよ。すぐ明るくなるんだよ」
 「もう出る。そら、ああ明るくなった」
 「だめだい。また来るよ、そら、ね、もう向《む》こうのポプラの木が黒くなったろう」
 「うん。まるでまわり燈籠《どうろう》のようだねえ」
 「おい、ごらん。山の雪の上でも雲のかげがすべってるよ。あすこ。そら。ここよりも動《うご》きようがおそいねえ」
 「もうおりて来る。ああこんどは早い早い、まるで落《お》ちて来るようだ。もうふもとまで来ちゃった。おや、どこへ行ったんだろう、見えなくなってしまった」
 「不思議《ふしぎ》だねえ、雲なんてどこから出て来るんだろう。ねえ、西のそらは青じろくて光ってよく晴れてるだろう。そして風がどんどん空を吹《ふ》いてるだろう。それだのにいつまでたっても雲がなくならないじゃないか」
 「いいや、あすこから雲が湧《わ》いて来るんだよ。そら、あすこに小さな小さな雲きれが出たろう。きっと大きくなるよ」
 「ああ、ほんとうにそうだね、大きくなったねえ。もう兎《うさぎ》ぐらいある」
 「どんどんかけて来る。早い早い、大きくなった、白熊《しろくま》のようだ」
 「またお日さんへかかる。暗《くら》くなるぜ、奇麗《きれい》だねえ。ああ奇麗《きれい》。雲のへりがまるで虹《にじ》で飾《かざ》ったようだ」
 西の方の遠くの空でさっきまで一生けん命《めい》啼《な》いていたひばりがこの時風に流《なが》されて羽《はね》を変《へん》にかしげながら二人のそばに降《お》りて来たのでした。
 「今日は、風があっていけませんね」
 「おや、ひばりさん、いらっしゃい。今日なんか高いとこは風が強いでしょうね」
 「ええ、ひどい風ですよ。大きく口をあくと風が僕《ぼく》のからだをまるで麦酒瓶《ビールびん》のようにボウと鳴らして行くくらいですからね。わめくも歌うも容易《ようい》のこっちゃありませんよ」
 「そうでしょうね。だけどここから見ているとほんとうに風はおもしろそうですよ。僕《ぼく》たちも一ぺん飛《と》んでみたいなあ」
 「飛《と》べるどこじゃない。もう二か月お待《ま》ちなさい。いやでも飛《と》ばなくちゃなりません」
 それから二か月めでした。私は御明神《ごみょうじん》へ行く途中《とちゅう》もう一ぺんそこへ寄《よ》ったのでした。
 丘《おか》はすっかり緑《みどり》でほたるかずらの花が子供《こども》の青い瞳《ひとみ》のよう、小岩井《こいわい》の野原には牧草《ぼくそう》や燕麦《オート》がきんきん光っておりました。風はもう南から吹《ふ》いていました。
 春の二つのうずのしゅげの花はすっかりふさふさした銀毛《ぎんもう》の房《ふさ》にかわっていました。野原のポプラの錫《すず》いろの葉《は》をちらちらひるがえし、ふもとの草が青い黄金《きん》のかがやきをあげますと、その二つのうずのしゅげの銀毛《ぎんもう》の房《ふさ》はぷるぷるふるえて今にも飛《と》び立ちそうでした。
 そしてひばりがひくく丘《おか》の上を飛《と》んでやって来たのでした。
 「今日は。いいお天気です。どうです。もう飛《と》ぶばかりでしょう」
 「ええ、もう僕《ぼく》たち遠いとこへ行きますよ。どの風が僕《ぼく》たちを連《つ》れて行くかさっきから見ているんです」
 「どうです。飛《と》んで行くのはいやですか」
 「なんともありません。僕《ぼく》たちの仕事《しごと》はもう済《す》んだんです」
 「こわかありませんか」
 「いいえ、飛《と》んだってどこへ行ったって野はらはお日さんのひかりでいっぱいですよ。僕《ぼく》たちばらばらになろうたって、どこかのたまり水の上に落《お》ちようたって、お日さんちゃんと見ていらっしゃるんですよ」
 「そうです、そうです。なんにもこわいことはありません。僕《ぼく》だってもういつまでこの野原にいるかわかりません。もし来年もいるようだったら来年は僕《ぼく》はここへ巣《す》をつくりますよ」
 「ええ、ありがとう。ああ、僕《ぼく》まるで息《いき》がせいせいする。きっと今度《こんど》の風だ。ひばりさん、さよなら」
 「僕《ぼく》も、ひばりさん、さよなら」
 「じゃ、さよなら、お大事《だいじ》においでなさい」
 奇麗《きれい》なすきとおった風がやって参《まい》りました。まず向《む》こうのポプラをひるがえし、青の燕麦《オート》に波《なみ》をたてそれから丘《おか》に
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