気にあたまを下げてゐられると
  おれはまつたくたまらないのだ
  威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ)
ぜんたい馬の眼のなかには複雑なレンズがあつて
けしきやみんなへんにうるんでいびつにみえる……
……馬車挽きはみんなといつしよに
向ふのどてのかれ草に
腰をおろしてやすんでゐる
三人赤くわらつてこつちをみ
また一人は大股にどてのなかをあるき
なにか忘れものでももつてくるといふ風《ふう》……(蜂函の白ペンキ)
桜の木には天狗巣病《てんぐすびやう》がたくさんある
天狗巣ははやくも青い葉をだし
馬車のラツパがきこえてくれば
ここが一ぺんにスヰツツルになる
遠くでは鷹がそらを截つてゐるし
からまつの芽はネクタイピンにほしいくらゐだし
いま向ふの並樹をくらつと青く走つて行つたのは
(騎手はわらひ)赤銅《しやくどう》の人馬《じんば》の徽章だ

   パート四[#ゴシック体]

本部の気取《きど》つた建物が
桜やポプラのこつちに立ち
そのさびしい観測台のうへに
ロビンソン風力計の小さな椀や
ぐらぐらゆれる風信器を
わたくしはもう見出さない
 さつきの光沢消《つやけ》しの立派な馬車は
 いまごろどこかで忘れたやうにとまつてようし
 五月の黒いオーヴアコートも
 どの建物かにまがつて行つた
冬にはこゝの凍つた池で
こどもらがひどくわらつた
 (から松はとびいろのすてきな脚です
  向ふにひかるのは雲でせうか粉雪でせうか
  それとも野はらの雪に日が照つてゐるのでせうか
  氷滑りをやりながらなにがそんなにをかしいのです
  おまへさんたちの頬つぺたはまつ赤ですよ)
葱いろの春の水に
|楊の花芽《ベムベロ》ももうぼやける……
はたけは茶いろに掘りおこされ
廐肥も四角につみあげてある
並樹ざくらの天狗巣には
いぢらしい小さな緑の旗を出すのもあり
遠くの縮れた雲にかかるのでは
みづみづした鶯いろの弱いのもある……
あんまりひばりが啼きすぎる
  (育馬部と本部とのあひだでさへ
   ひばりやなんか一ダースできかない)
そのキルギス式の逞ましい耕地の線が
ぐらぐらの雲にうかぶこちら
みじかい素朴な電話ばしらが
右にまがり左へ傾きひどく乱れて
まがりかどには一本の青木
 (白樺だらう 楊ではない)
耕耘部へはここから行くのがちかい
ふゆのあひだだつて雪がかたまり
馬橇《ばそり》も通つていつたほどだ
 (ゆきがかたくはなかつたやうだ
  なぜならそりはゆきをあげた
  たしかに酵母のちんでんを
  冴えた気流に吹きあげた)
あのときはきらきらする雪の移動のなかを
ひとはあぶなつかしいセレナーデを口笛に吹き
往つたりきたりなんべんしたかわからない
   (四列の茶いろな落葉松《らくえふしよう》)
けれどもあの調子はづれのセレナーデが
風やときどきぱつとたつ雪と
どんなによくつりあつてゐたことか
それは雪の日のアイスクリームとおなじ
 (もつともそれなら暖炉《だんろ》もまつ赤《か》だらうし
  muscovite も少しそつぽに灼《や》けるだらうし
  おれたちには見られないぜい沢《たく》だ)
春のヴアンダイクブラウン
きれいにはたけは耕耘された
雲はけふも白金《はくきん》と白金黒《はくきんこく》
そのまばゆい明暗《めいあん》のなかで
ひばりはしきりに啼いてゐる
  (雲の讃歌《さんか》と日の軋《きし》り)
それから眼をまたあげるなら
灰いろなもの走るもの蛇に似たもの 雉子だ
亜鉛鍍金《あえんめつき》の雉子なのだ
あんまり長い尾をひいてうららかに過ぎれば
もう一疋が飛びおりる
山鳥ではない
 (山鳥ですか? 山で? 夏に?)
あるくのははやい 流れてゐる
オレンヂいろの日光のなかを
雉子はするするながれてゐる
啼いてゐる
それが雉子の声だ
いま見はらかす耕地のはづれ
向ふの青草の高みに四五本乱れて
なんといふ気まぐれなさくらだらう
みんなさくらの幽霊だ
内面はしだれやなぎで
鴾《とき》いろの花をつけてゐる
  (空でひとむらの海綿白金《プラチナムスポンヂ》がちぎれる)
それらかゞやく氷片の懸吊《けんてう》をふみ
青らむ天のうつろのなかへ
かたなのやうにつきすすみ
すべて水いろの哀愁を焚《た》き
さびしい反照《はんせう》の偏光《へんくわう》を截れ
いま日を横ぎる黒雲は
侏羅《じゆら》や白堊のまつくらな森林のなか
爬虫《はちゆう》がけはしく歯を鳴らして飛ぶ
その氾濫の水けむりからのぼつたのだ
たれも見てゐないその地質時代の林の底を
水は濁つてどんどんながれた
いまこそおれはさびしくない
たつたひとりで生きて行く
こんなきままなたましひと
たれがいつしよに行けようか
大びらにまつすぐに進んで
それでいけないといふのなら
田舎ふうのダブルカラなど引き裂いてしまへ
それからさきがあんまり青黒くなつてきたら……
そんなさきまでかんがへないでいい
ちからいつぱい口笛を吹け
口笛をふけ 陽《ひ》の錯綜《さくそう》
たよりもない光波のふるひ
すきとほるものが一列わたくしのあとからくる
ひかり かすれ またうたふやうに小さな胸を張り
またほのぼのとかゞやいてわらふ
みんなすあしのこどもらだ
ちらちら瓔珞《やうらく》もゆれてゐるし
めいめい遠くのうたのひとくさりづつ
緑金寂静《ろくきんじやくじやう》のほのほをたもち
これらはあるいは天の鼓手《こしゆ》 緊那羅《きんなら》のこどもら
 (五本の透明なさくらの木は
  青々とかげろふをあげる)
わたくしは白い雑嚢をぶらぶらさげて
きままな林務官のやうに
五月のきんいろの外光のなかで
口笛をふき歩調をふんでわるいだらうか
たのしい太陽系の春だ
みんなはしつたりうたつたり
はねあがつたりするがいい
  (コロナは八十三万二百……)
あの四月の実習のはじめの日
液肥をはこぶいちにちいつぱい
光炎菩薩太陽マヂツクの歌が鳴つた
  (コロナは八十三万四百……)
ああ陽光のマヂツクよ
ひとつのせきをこえるとき
ひとりがかつぎ棒をわたせば
それは太陽のマヂツクにより
磁石のやうにもひとりの手に吸ひついた
  (コロナは七十七万五千……)
どのこどもかが笛を吹いてゐる
それはわたくしにきこえない
けれどもたしかにふいてゐる
  (ぜんたい笛といふものは
   きまぐれなひよろひよろの酋長だ)

みちがぐんぐんうしろから湧き
過ぎて来た方へたたんで行く
むら気な四本の桜も
記憶のやうにとほざかる
たのしい地球の気圏の春だ
みんなうたつたりはしつたり
はねあがつたりするがいい

   パート五[#ゴシック体]  パート六[#ゴシック体]

   パート七[#ゴシック体]

とびいろのはたけがゆるやかに傾斜して
すきとほる雨のつぶに洗はれてゐる
そのふもとに白い笠の農夫が立ち
つくづくとそらのくもを見あげ
こんどはゆつくりあるきだす
 (まるで行きつかれたたび人だ)
汽車の時間をたづねてみよう
こゝはぐちやぐちやした青い湿地で
もうせんごけも生えてゐる
 (そのうすあかい毛もちゞれてゐるし
  どこかのがまの生えた沼地を
  ネー将軍|麾《き》下の騎兵の馬が
  泥に一尺ぐらゐ踏みこんで
  すぱすぱ渉つて進軍もした)
雲は白いし農夫はわたしをまつてゐる
またあるきだす(縮れてぎらぎらの雲)
トツパースの雨の高みから
けらを着た女の子がふたりくる
シベリヤ風に赤いきれをかぶり
まつすぐにいそいでやつてくる
(Miss Robin)働きにきてゐるのだ
農夫は富士見の飛脚のやうに
笠をかしげて立つて待ち
白い手甲さへはめてゐる もう二十米だから
しばらくあるきださないでくれ
じぶんだけせつかく待つてゐても
用がなくてはこまるとおもつて
あんなにぐらぐらゆれるのだ
 (青い草穂は去年のだ)
あんなにぐらぐらゆれるのだ
さはやかだし顔も見えるから
ここからはなしかけていゝ
シヤツポをとれ(黒い羅紗もぬれ)
このひとはもう五十ぐらゐだ
 (ちよつとお訊《ぎ》ぎ申しあんす
  盛岡行ぎ汽車なん時だべす)
 (三時だたべが)
ずゐぶん悲しい顔のひとだ
博物館の能面にも出てゐるし
どこかに鷹のきもちもある
うしろのつめたく白い空では
ほんたうの鷹がぶうぶう風を截る
雨をおとすその雲母摺《きらず》りの雲の下
はたけに置かれた二台のくるま
このひとはもう行かうとする
白い種子は燕麦《オート》なのだ
  (燕麦播《オートま》ぎすか)
  (あんいま向《もご》でやつてら)
この爺《ぢい》さんはなにか向ふを畏れてゐる
ひじやうに恐ろしくひどいことが
そつちにあるとおもつてゐる
そこには馬のつかない廐肥車《こやしぐるま》と
けはしく翔ける鼠いろの雲ばかり
こはがつてゐるのは
やつぱりあの蒼鉛《さうえん》の労働なのか
  (こやし入れだのすか
   堆肥《たいひ》ど過燐酸《くわりんさん》どすか)
  (あんさうす)
  (ずゐぶん気持のいゝ処《どご》だもな)
  (ふう)
この人はわたくしとはなすのを
なにか大へんはばかつてゐる
それはふたつのくるまのよこ
はたけのをはりの天末線《スカイライン》
ぐらぐらの空のこつち側を
すこし猫背《ねこぜ》でせいの高い
くろい外套の男が
雨雲に銃を構へて立つてゐる
あの男がどこか気がへんで
急に鉄砲をこつちへ向けるのか
あるいは Miss Robin たちのことか
それとも両方いつしよなのか
どつちも心配しないでくれ
わたしはどつちもこはくない
やつてるやつてるそらで鳥が
 (あの鳥何て云ふす 此処らで)
 (ぶどしぎ)
 (ぶどしぎて云ふのか)
 (あん 曇るづどよぐ出はら)
から松の芽の緑玉髄《クリソプレース》
かけて行く雲のこつちの射手《しやしゆ》は
またもつたいらしく銃を構へる
 (三時の次あ何時だべす)
 (五時だべが ゆぐ知らない)
過燐酸石灰のヅツク袋
水溶《すゐよう》十九と書いてある
学校のは十五%だ
雨はふるしわたくしの黄いろな仕事着もぬれる
遠くのそらではそのぼとしぎどもが
大きく口をあいてビール瓶のやうに鳴り
灰いろの咽喉の粘膜に風をあて
めざましく雨を飛んでゐる
少しばかり青いつめくさの交つた
かれくさと雨の雫との上に
菩薩樹《まだ》皮の厚いけらをかぶつて
さつきの娘たちがねむつてゐる
爺《ぢい》さんはもう向ふへ行き
射手は肩を怒らして銃を構へる
  (ぼとしぎのつめたい発動機は……)
ぼとしぎはぶうぶう鳴り
いつたいなにを射たうといふのだ
爺さんの行つた方から
わかい農夫がやつてくる
かほが赤くて新鮮にふとり
セシルローズ型の円い肩をかゞめ
燐酸のあき袋をあつめてくる
二つはちやんと肩に着てゐる
  (降つてげだごとなさ)
  (なあにすぐ霽れらんす)
火をたいてゐる
赤い焔もちらちらみえる
農夫も戻るしわたくしもついて行かう
これらのからまつの小さな芽をあつめ
わたくしの童話をかざりたい
ひとりのむすめがきれいにわらつて起きあがる
みんなはあかるい雨の中ですうすうねむる
  (うな いいをなごだもな)
にはかにそんなに大声にどなり
まつ赤になつて石臼のやうに笑ふのは
このひとは案外にわかいのだ
すきとほつて火が燃えてゐる
青い炭素のけむりも立つ
わたくしもすこしあたりたい
  (おらも中《あだ》つでもいがべが)
  (いてす さあおあだりやんせ)
  (汽車三時すか)
  (三時四十分
   まだ一時にもならないも)
火は雨でかへつて燃える
自由射手《フライシユツツ》は銀のそら
ぼとしぎどもは鳴らす鳴らす
すつかりぬれた 寒い がたがたする

   パート九[#ゴシック体]

すきとほつてゆれてゐるのは
さつきの剽悍《へうかん》な四本のさくら
わたくしはそれを知つてゐるけれども
眼にははつきり見てゐない
たしかにわたくしの感官の外《そと》で
つめたい雨がそそいでゐる
 (天の微光にさだめなく
  うかべる石をわがふめば
  おゝユリア しづくはいとど降りまさり
  カシオペーアはめぐり行く)
ユリア
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