て
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
そのとき雲の信号は
もう青白い春の
禁慾のそら高く掲《かか》げられてゐた
山はぼんやり
きつと四本杉には
今夜は雁もおりてくる
[#地付き](一九二二、五、一〇)
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風景
雲はたよりないカルボン酸
さくらは咲いて日にひかり
また風が来てくさを吹けば
截られたたらの木もふるふ
さつきはすなつちに廐肥《きうひ》をまぶし
(いま青ガラスの模型の底になつてゐる)
ひばりのダムダム弾《だん》がいきなりそらに飛びだせば
風は青い喪神をふき
黄金の草 ゆするゆする
雲はたよりないカルボン酸
さくらが日に光るのはゐなか風《ふう》だ
[#地付き](一九二二、五、一二)
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習作
キンキン光る
西班尼《すぱにあ》製です
(つめくさ つめくさ)
こんな舶来の草地でなら
黒砂糖のやうな甘つたるい声で唄つてもいい
と ┃ また鞭をもち赤い上着を着てもいい
ら ┃ ふくふくしてあたたかだ
よ ┃ 野ばらが咲いてゐる 白い花
と ┃ 秋には熟したいちごにもなり
す ┃ 硝子のやうな実にもなる野ばらの花だ
れ ┃ 立ちどまりたいが立ちどまらない
ば ┃ とにかく花が白くて足なが蜂のかたちなのだ
そ ┃ みきは黒くて黒檀《こくたん》まがひ
の ┃ (あたまの奥のキンキン光つて痛いもや)
手 ┃ このやぶはずゐぶんよく据ゑつけられてゐると
か ┃ かんがへたのはすぐこの上だ
ら ┃ じつさい岩のやうに
こ ┃ 船のやうに
と ┃ 据ゑつけられてゐたのだから
り ┃ ……仕方ない
は ┃ ほうこの麦の間に何を播いたんだ
そ ┃ すぎなだ
ら ┃ すぎなを麦の間作ですか
へ ┃ 柘植《つげ》さんが
と ┃ ひやかしに云つてゐるやうな
ん ┃ そんな口調《くてう》がちやんとひとり
で ┃ 私の中に棲んでゐる
行 ┃ 和賀《わが》の混《こ》んだ松並木のときだつて
く ┃ さうだ
[#「┃」は一本につながった罫線]
[#地付き](一九二二、五、一四)
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休息
そのきらびやかな空間の
上部にはきんぽうげが咲き
(上等の butter−cup《バツタカツプ》 ですが
牛酪《バター》よりは硫黄と蜜とです)
下にはつめくさや芹がある
ぶりき細工のとんぼが飛び
雨はぱちぱち鳴つてゐる
(よしきりはなく なく
それにぐみの木だつてあるのだ)
からだを草に投げだせば
雲には白いとこも黒いとこもあつて
みんなぎらぎら湧いてゐる
帽子をとつて投げつければ黒いきのこしやつぽ
ふんぞりかへればあたまはどての向ふに行く
あくびをすれば
そらにも悪魔がでて来てひかる
このかれくさはやはらかだ
もう極上のクツシヨンだ
雲はみんなむしられて
青ぞらは巨きな網の目になつた
それが底びかりする鉱物板だ
よしきりはひつきりなしにやり
ひでりはパチパチ降つてくる
[#地付き](一九二二、五、一四)
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おきなぐさ
風はそらを吹き
そのなごりは草をふく
おきなぐさ冠毛《くわんもう》の質直《しつぢき》
松とくるみは宙に立ち
(どこのくるみの木にも
いまみな金《きん》のあかごがぶらさがる)
ああ黒のしやつぽのかなしさ
おきなぐさのはなをのせれば
幾きれうかぶ光酸《くわうさん》の雲
[#地付き](一九二二、五、一七)
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かはばた
かはばたで鳥もゐないし
(われわれのしよふ燕麦《オート》の種子《たね》は)
風の中からせきばらひ
おきなぐさは伴奏をつゞけ
光のなかの二人の子
[#地付き](一九二二、五、一七)
[#改丁、ページの左右中央に]
真空溶媒
[#改ページ]
真空溶媒
(Eine Phantasie im Morgen)
融銅はまだ眩《くら》めかず
白いハロウも燃えたたず
地平線ばかり明るくなつたり陰《かげ》つたり
はんぶん溶けたり澱んだり
しきりにさつきからゆれてゐる
おれは新らしくてパリパリの
銀杏《いてふ》なみきをくぐつてゆく
その一本の水平なえだに
りつぱな硝子のわかものが
もうたいてい三角にかはつて
そらをすきとほしてぶらさがつてゐる
けれどもこれはもちろん
そんなにふしぎなことでもない
おれはやつぱり口笛をふいて
大またにあるいてゆくだけだ
いてふの葉ならみんな青い
冴えかへつてふるへてゐる
いまやそこらは alcohol 瓶のなかのけしき
白い輝雲《きうん》のあちこちが切れて
あの永久の海蒼《かいさう》がのぞきでてゐる
それから新鮮なそらの海鼠《なまこ》の匂
ところがおれはあんまりステツキをふりすぎた
こんなににはかに木がなくなつて
眩ゆい芝生《しばふ》がいつぱいいつぱいにひらけるのは
さうとも 銀杏並樹《いてふなみき》なら
もう二哩もうしろになり
野の緑青《ろくしやう》の縞のなかで
あさの練兵をやつてゐる
うらうら湧きあがる昧爽《まいさう》のよろこび
氷ひばりも啼いてゐる
そのすきとほつたきれいななみは
そらのぜんたいにさへ
かなりの影《えい》きやうをあたへるのだ
すなはち雲がだんだんあをい虚空に融けて
たうとういまは
ころころまるめられたパラフヰンの団子《だんご》になつて
ぽつかりぽつかりしづかにうかぶ
地平線はしきりにゆすれ
むかふを鼻のあかい灰いろの紳士が
うまぐらゐあるまつ白な犬をつれて
あるいてゐることはじつに明らかだ
(やあ こんにちは)
(いや いゝおてんきですな)
(どちらへ ごさんぽですか
なるほど ふんふん ときにさくじつ
ゾンネンタールが没《な》くなつたさうですが
おききでしたか)
(いゝえ ちつとも
ゾンネンタールと はてな)
(りんごが中《あた》つたのださうです)
(りんご ああ なるほど
それはあすこにみえるりんごでせう)
はるかに湛《たた》へる花紺青の地面から
その金いろの苹果《りんご》の樹が
もくりもくりと延びだしてゐる
(金皮のまゝたべたのです)
(そいつはおきのどくでした
はやく王水をのませたらよかつたでせう)
(王水 口をわつてですか
ふんふん なるほど)
(いや王水はいけません
やつぱりいけません
死ぬよりしかたなかつたでせう
うんめいですな
せつりですな
あなたとはご親類ででもいらつしやいますか)
(えゝえゝ もうごくごく遠いしんるゐで)
いつたいなにをふざけてゐるのだ
みろ その馬ぐらゐあつた白犬が
はるかのはるかのむかふへ遁げてしまつて
いまではやつと南京鼠《なんきんねずみ》のくらゐにしか見えない
(あ わたくしの犬がにげました)
(追ひかけてもだめでせう)
(いや あれは高価《たか》いのです
おさへなくてはなりません
さよなら)
苹果《りんご》の樹がむやみにふえた
おまけにのびた
おれなどは石炭紀の鱗木《りんぼく》のしたの
ただいつぴきの蟻でしかない
犬も紳士もよくはしつたもんだ
東のそらが苹果林《りんごばやし》のあしなみに
いつぱい琥珀をはつてゐる
そこからかすかな苦扁桃《くへんたう》の匂がくる
すつかり荒《す》さんだひるまになつた
どうだこの天|頂《ちやう》の遠いこと
このものすごいそらのふち
愉快な雲雀《ひばり》もとうに吸ひこまれてしまつた
かあいさうにその無窮遠《むきゆうゑん》の
つめたい板の間《ま》にへたばつて
瘠せた肩をぷるぷるしてるにちがひない
もう冗談ではなくなつた
画かきどものすさまじい幽霊が
すばやくそこらをはせぬけるし
雲はみんなリチウムの紅い焔をあげる
それからけはしいひかりのゆきき
くさはみな褐藻類にかはられた
こここそわびしい雲の焼け野原
風のヂグザグや黄いろの渦
そらがせはしくひるがへる
なんといふとげとげしたさびしさだ
(どうなさいました 牧師さん)
あんまりせいが高すぎるよ
(ご病気ですか
たいへんお顔いろがわるいやうです)
(いやありがたう
べつだんどうもありません
あなたはどなたですか)
(わたくしは保安掛りです)
いやに四かくな背《はい》嚢だ
そのなかに苦味丁幾《くみちんき》や硼酸《はうさん》や
いろいろはひつてゐるんだな
(さうですか
今日なんかおつとめも大へんでせう)
(ありがたう
いま途中で行き倒《だふ》れがありましてな)
(どんなひとですか)
(りつぱな紳士です)
(はなのあかいひとでせう)
(さうです)
(犬はつかまつてゐましたか)
(臨終《りんじゆう》にさういつてゐましたがね
犬はもう十五哩もむかふでせう
じつにいゝ犬でした)
(ではあのひとはもう死にましたか)
(いゝえ露がおりればなほります
まあちよつと黄いろな時間だけの仮死《かし》ですな
ううひどい風だ まゐつちまふ)
まつたくひどいかぜだ
たふれてしまひさうだ
沙漠でくされた駝鳥《だてう》の卵
たしかに硫化水素ははひつてゐるし
ほかに無水亜硫酸
つまりこれはそらからの瓦斯の気流に二つある
しようとつして渦になつて硫黄|華《くわ》ができる
気流に二つあつて硫黄華ができる
気流に二つあつて硫黄華ができる
(しつかりなさい しつかり
もしもし しつかりなさい
たうとう参つてしまつたな
たしかにまゐつた
そんならひとつお時計をちやうだいしますかな)
おれのかくしに手を入れるのは
なにがいつたい保安掛りだ
必要がない どなつてやらうか
どなつてやらうか
どなつてやらうか
どなつ……
水が落ちてゐる
ありがたい有難い神はほめられよ 雨だ
悪い瓦斯はみんな溶けろ
(しつかりなさい しつかり
もう大丈夫です)
何が大丈夫だ おれははね起きる
(だまれ きさま
黄いろな時間の追剥め
飄然たるテナルデイ軍曹だ
きさま
あんまりひとをばかにするな
保安掛りとはなんだ きさま)
いゝ気味だ ひどくしよげてしまつた
ちゞまつてしまつたちひさくなつてしまつた
ひからびてしまつた
四角な背嚢ばかりのこり
たゞ一かけの泥炭《でいたん》になつた
ざまを見ろじつに醜《みにく》い泥炭なのだぞ
背嚢なんかなにを入れてあるのだ
保安掛り じつにかあいさうです
カムチヤツカの蟹の缶詰と
陸稲《をかぼ》の種子がひとふくろ
ぬれた大きな靴が片つ方
それと赤鼻紳士の金鎖
どうでもいゝ 実にいゝ空気だ
ほんたうに液体のやうな空気だ
(ウーイ 神はほめられよ
みちからのたたふべきかな
ウーイ いゝ空気だ)
そらの澄《ちよう》明 すべてのごみはみな洗はれて
ひかりはすこしもとまらない
だからあんなにまつくらだ
太陽がくらくらまはつてゐるにもかゝはらず
おれは数しれぬほしのまたたきを見る
ことにもしろいマヂエラン星雲
草はみな葉緑素を恢復し
葡萄糖を含む月光液《げつくわうえき》は
もうよろこびの脈さへうつ
泥炭がなにかぶつぶつ言つてゐる
(もしもし 牧師さん
あの馳せ出した雲をごらんなさい
まるで天の競馬のサラアブレツドです)
(うん きれいだな
雲だ 競馬だ
天のサラアブレツドだ 雲だ)
あらゆる変幻の色彩を示し
……もうおそい ほめるひまなどない
虹彩はあはく変化はゆるやか
いまは一むらの軽い湯気《ゆげ》になり
零下二千度の真空溶媒《しんくうようばい》のなかに
すつととられて消えてしまふ
それどこでない おれのステツキは
いつたいどこへ行つたのだ
上着もいつかなくなつてゐる
チヨツキはたつたいま消えて行つた
恐るべくかなしむべき真空溶媒は
こんどはおれに働きだした
まるで熊の胃袋のなかだ
それでもどうせ質量不変の定律だから
べつにどうにもなつてゐない
といつたところでおれといふ
この明らか
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