はち空の模様がちがつてゐる
そして今度は月が蹇《ちぢ》まる
[#地付き](一九二二、九、一八)
[#改ページ]
         (犬、マサニエロ等)

  犬


なぜ吠えるのだ 二疋とも
吠えてこつちへかけてくる
 (夜明けのひのきは心象のそら)
頭を下げることは犬の常套《じやうたう》だ
尾をふることはこはくない
それだのに
なぜさう本気に吠えるのだ
その薄明《はくめい》の二疋の犬
一ぴきは灰色錫
一ぴきの尾は茶の草穂
うしろへまはつてうなつてゐる
わたくしの歩きかたは不正でない
それは犬の中の狼のキメラがこはいのと
もひとつはさしつかへないため
犬は薄明に溶解する
うなりの尖端にはエレキもある
いつもあるくのになぜ吠えるのだ
ちやんと顔を見せてやれ
ちやんと顔を見せてやれと
誰かとならんであるきながら
犬が吠えたときに云ひたい
帽子があんまり大きくて
おまけに下を向いてあるいてきたので
吠え出したのだ
[#地付き](一九二二、九、二七)
[#改ページ]

  マサニエロ


城のすすきの波の上には
伊太利亜製の空間がある
そこで烏の群が踊る
白雲母《しろうんも》のくもの幾きれ
   (濠と橄欖天鵞絨《かんらんびろうど》 杉)
ぐみの木かそんなにひかつてゆするもの
七つの銀のすすきの穂
 (お城の下の桐畑でも ゆれてゐるゆれてゐる 桐が)
赤い蓼《たで》の花もうごく
すゞめ すゞめ
ゆつくり杉に飛んで稲にはひる
そこはどての陰で気流もないので
そんなにゆつくり飛べるのだ
  (なんだか風と悲しさのために胸がつまる)
ひとの名前をなんべんも
風のなかで繰り返してさしつかへないか
  (もうみんな鍬や縄をもち
   崖をおりてきていゝころだ)
いまは鳥のないしづかなそらに
またからすが横からはひる
屋根は矩形で傾斜白くひかり
こどもがふたりかけて行く
羽織をかざしてかける日本の子供ら
こんどは茶いろの雀どもの抛物線
金属製の桑のこつちを
もひとりこどもがゆつくり行く
蘆の穂は赤い赤い
  (ロシヤだよ チエホフだよ)
はこやなぎ しつかりゆれろゆれろ
  (ロシヤだよ ロシヤだよ)
烏がもいちど飛びあがる
稀硫酸の中の亜鉛屑は烏のむれ
お城の上のそらはこんどは支那のそら
烏三疋杉をすべり
四疋になつて旋転する
[#地付き](一九二二、一〇、一〇)
[#改ページ]

  栗鼠と色鉛筆


樺の向ふで日はけむる
つめたい露でレールはすべる
靴革の料理のためにレールはすべる
朝のレールを栗鼠は横切る
横切るとしてたちどまる
尾は der Herbst
 日はまつしろにけむりだし
栗鼠は走りだす
  水そばの苹果緑《アツプルグリン》と石竹《ピンク》
たれか三角やまの草を刈つた
ずゐぶんうまくきれいに刈つた
緑いろのサラアブレツド
  日は白金をくすぼらし
  一れつ黒い杉の槍
その早池峰《はやちね》と薬師岳との雲環《うんくわん》は
古い壁画のきららから
再生してきて浮きだしたのだ
  色鉛筆がほしいつて
  ステツドラアのみじかいペンか
  ステツドラアのならいいんだが
  来月にしてもらひたいな
  まああの山と上の雲との模様を見ろ
  よく熟してゐてうまいから
[#地付き](一九二二、一〇、一五)
[#改丁、ページの左右中央に]

       無声慟哭

[#改ページ]

  永訣の朝


けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
   (あめゆじゆとてちてけんじや)*
うすあかくいつそう陰惨《いんざん》な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜《じゆんさい》のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀《たうわん》に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
蒼鉛《さうえん》いろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系《にさうけい》をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松
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