すから
私もスケツチをとります※[#終わり二重パーレン、1−2−55]
 はてな わたくしの帳面の
 書いた分がたつた三枚になつてゐる
 事によると月光のいたづらだ
 藤原が提灯を見せてゐる
 ああ頁が折れ込んだのだ
 さあでは私はひとり行かう
 外輪山の自然な美しい歩道の上を
 月の半分は赤銅《しやくどう》 地球照《アースシヤイン》
※[#始め二重パーレン、1−2−54]お月さまには黒い処もある※[#終わり二重パーレン、1−2−55]
 ※[#始め二重パーレン、1−2−54]後|藤《どう》又兵衛いつつも拝んだづなす※[#終わり二重パーレン、1−2−55]
 私のひとりごとの反響に
 小田島|治衛《はるゑ》が云つてゐる
※[#始め二重パーレン、1−2−54]山中鹿之助だらう※[#終わり二重パーレン、1−2−55]
 もうかまはない 歩いていゝ
   どつちにしてもそれは善《い》いことだ
二十五日の月のあかりに照らされて
薬師火口の外輪山をあるくとき
わたくしは地球の華族である
蛋白石の雲は遥にたゝへ
オリオン 金牛 もろもろの星座
澄み切り澄みわたつて
瞬きさへもすくなく
わたくしの額の上にかがやき
 さうだ オリオンの右肩から
 ほんたうに鋼青の壮麗が
 ふるへて私にやつて来る

三つの提灯は夢の火口原の
白いとこまで降りてゐる
※[#始め二重パーレン、1−2−54]雪ですか 雪ぢやないでせう※[#終わり二重パーレン、1−2−55]
困つたやうに返事してゐるのは
雪でなく 仙人草のくさむらなのだ
さうでなければ高陵土《カオリンゲル》
残りの一つの提灯は
一升のところに停つてゐる
それはきつと河村慶助が
外套の袖にぼんやり手を引つ込めてゐる
※[#始め二重パーレン、1−2−54]御室《おむろ》の方の火口へでもお入りなさい
噴火口へでも入つてごらんなさい
硫黄のつぶは拾へないでせうが※[#終わり二重パーレン、1−2−55]
斯んなによく声がとゞくのは
メガホーンもしかけてあるのだ
しばらく躊躇してゐるやうだ
 ※[#始め二重パーレン、1−2−54]先生 中さ入《はひ》つてもいがべすか※[#終わり二重パーレン、1−2−55]
※[#始め二重パーレン、1−2−54]えゝ おはひりなさい 大丈夫です※[#終わり二重パーレン、1−2−55]
提灯が三つ沈んでしまふ
そのでこぼこのまつ黒の線
すこしのかなしさ
けれどもこれはいつたいなんといふいゝことだ
大きな帽子をかぶり
ちぎれた繻子のマントを着て
薬師火口の外輪山の
しづかな月明を行くといふのは

この石標は
下向の道と書いてあるにさうゐない
火口のなかから提灯が出て来た
宮沢の声もきこえる
雲の海のはてはだんだん平らになる
それは一つの雲平線《うんぴやうせん》をつくるのだ
雲平線をつくるのだといふのは
月のひかりのひだりから
みぎへすばやく擦過した
一つの夜の幻覚だ
いま火口原の中に
一点しろく光《ひか》るもの
わたくしを呼んでゐる呼んでゐるのか
私は気圏オペラの役者です
鉛筆のさやは光り
速かに指の黒い影はうごき
唇を円くして立つてゐる私は
たしかに気圏オペラの役者です
また月光と火山塊のかげ
向ふの黒い巨きな壁は
熔岩か集塊岩 力強い肩だ
とにかく夜があけてお鉢廻りのときは
あすこからこつちへ出て来るのだ
なまぬるい風だ
これが気温の逆転だ
  (つかれてゐるな
   わたしはやつぱり睡いのだ)
火山弾には黒い影
その妙好《めうかう》の火口丘には
幾条かの軌道のあと
鳥の声!
鳥の声!
海抜六千八百尺の
月明をかける鳥の声
鳥はいよいよしつかりとなき
私はゆつくりと踏み
月はいま二つに見える
やつぱり疲れからの乱視なのだ

かすかに光る火山塊の一つの面
オリオンは幻怪《げんくわい》
月のまはりは熟した瑪瑙と葡萄
あくびと月光の動転《どうてん》
    (あんまりはねあるぐなぢやい
     汝《うな》ひとりだらいがべあ
     子供等《わらしやど》も連れでて目にあへば
     汝《うな》ひとりであすまないんだぢやい)
火口丘《くわこうきう》の上には天の川の小さな爆発
みんなのデカンシヨの声も聞える
月のその銀の角のはじが
潰れてすこし円くなる
天の海とオーパルの雲
あたたかい空気は
ふつと撚《より》になつて飛ばされて来る
きつと屈折率も低く
濃い蔗糖溶液《しよたうようえき》に
また水を加へたやうなのだらう
東は淀み
提灯《ちやうちん》はもとの火口の上に立つ
また口笛を吹いてゐる
わたくしも戻る
わたくしの影を見たのか提灯も戻る
  (その影は鉄いろの背景の
   ひとりの修羅に見える筈だ)
さう考へたのは間違ひらしい
とにかくあくびと影ぼふし
空のあの辺の星は微かな散点
すな
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