ばかり泡《あわ》を口の端《はし》に吹いて、うれしそうにその樹にのぼろうとしました。実はそれは椰子の樹ではなく、その幹《みき》はかたく、すべすべしておりました。その上に蟹は脚《あし》も二本少くなっておりましたからなかなかのぼるのに難儀でした。それでも自分の好きな椰子の実の新しいのを、久しぶりで喰《た》べられるという考えから、一生懸命に樹に登りました。そしてその実を鋏《はさみ》でチョキンと切って落しました。蟹は又《また》難儀をして、樹から降り、その実を割ってみましたが、元より椰子の実が神戸にあろう筈《はず》はありません。まだ見たことのない妙なものでした。そこで又樹に登って、又一つ実をチョキンと切り落しては、降りて来て、喰べようとすると、やはり同じ喰べられない実です。もう一度登ってチョキンと切り落して、降りて喰べようとすると、やはり喰べられない実です、こうして幾度も幾度も登ったり、降りたりして、もう樹の上にはたった一つだけしか実が残らなくなったとき、無理をしていた蟹の力はすっかり尽きて、高い梢《こずえ》からぱたりと下に落ちてしまいました。
夜《よ》があけました。宿屋の人が起きてみると、風も吹かなかったのに、どうしたものか庭には柘榴《ざくろ》が一ばいに落ちておりました。そうして靴脱《くつぬ》ぎ石《いし》の上に鋏の大きな蟹が死んでいるのを見ると、学者たちを呼んでまいりました。
「かわいそうに、柘榴を椰子と間違えたのだよ。」と、一人が言いました。
「潰《つぶ》れてしまったけれど、まだ形だけは残っている。アルコール潰《づけ》にしよう。」
可哀《かわい》そうな椰子蟹はとうとう瓶《びん》に入れられて、或《ある》学校の標本室に今でも残っております。
底本:「赤い鳥傑作集」新潮文庫、新潮社
1955(昭和30)年6月25日発行
1974(昭和49)年9月10日29刷改版
1989(平成元)年10月15日48刷
底本の親本:「赤い鳥」復刻版、日本近代文学館
1968(昭和43)〜1969(昭和44)年
初出:「赤い鳥」
1924(大正13)年2月号
入力:林 幸雄
校正:鈴木厚司
2001年8月27日公開
青空文庫作成ファイル:
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