。」
 吉ちやんは自動車にのりかけると、
「もし/\。」
と、呼びかけるものがありました。見ると、鳥居の根にポケツトの中に入れるぐらゐの、煤《すす》けた大黒様がありました。
「吉坊/\、お前わしを忘れちやいけないよ。わしを拾つていかなければいけないよ。」
 大黒様は、かなりはつきりした声で申しました。吉ちやんは頭を掻《か》きました。
「あなたは汚ないね。取つたら、手がよごれるでせう。」
「よごれたつてかまはない。わしをポケツトに入れなさい。」
 吉ちやんは困つて、竜の豆自動車にきゝました。
「どうだらう。大黒様をつれて行つたものだらうか。」
「さあ、どうでも。」
と、自動車は言ひました。
「あなたのお心まかせです。けれどもこの大黒様は、もう千年も年を老《と》つてゐますから、何でも物をよく知つてゐますよ。だからこの国を旅なさるんなら、つれて行つた方が便利です。」
「さう、ぢや仕方がない、つれて行かう。」
 吉ちやんが大黒様を拾つて、ポケツトに入れると、手にも服にも真黒に煤《すす》がつきましたから、いやな顔をして、払つてゐると、大黒様はそつと頭をのぞけて、にこ/\笑ひ、
「そんなことを気にしなさるな。いまにもつといゝものをあげるから、それよつかも、お前は大事なものを拾はない。あれ、あすこにおしやもじが落ちてゐる。あれが大変な宝だ。早く、こゝへ持つて来なさい。」
 そのおしやもじは、一方は焼け焦げになつてゐる汚ないものでした。吉ちやんは、馬鹿《ばか》らしいとは思ひましたが、何でも知つてゐる大黒様のいひつけですから、仕方がないから、拾つて別のポケツトに入れました。
「さあ、今度はちつと、遠くへ行かう。」
と、大黒様は言ひました。
「おい自動車、一万里の速力になつて、千里さきへ行つてくれ。」
「へい、畏《かしこま》りました。」
 自動車は、目にもとまらぬ速さで、プーンと空を飛びました。


    四

 千里さきは妙な国でした。
 そこでは、みんな人でも物でも逆さまになつてゐました。両足を天にあげて、もが/\さして苦しさうなのです。そして人は口々に、
「あゝ苦しい/\、助けてくれ/\。」
と、言つてゐました。
「どうしたんでせう、大黒さん、なぜあんなに逆さまになつて歩くんでせう。」
 吉《よし》ちやんはびつくりしてきゝました。
「こゝか。」
と、大黒様が申しました。
「こゝは鏡の市といふところさ。やはり夢の国のうちなんだよ。だがね、こゝで一つ面白いことをして遊ばう。あの逆さまの人や物を、ひつくり返してみよう。お前あのおしやもじを持つてゐるね。」
「えゝ、こゝにあります。」
「それを出して、焼けてゐない方を前へ向けて、クウル、クリイル、ケーレと呪文《じゆもん》をとなへるのだ。いゝか、やつてみなさい。」
 吉ちやんはそのとほりにしますと、不思議/\、音もしないで、ピヨコリと、人でも物でも皆当り前になりました。するとそこいらにゐた人達《ひとたち》が、うよ/\と自動車のまはりへ集まつて来ました。
「有難うございます/\。あなたのお蔭《かげ》でみんなが、ちやんとなつて助かりました。あなたは神様でございます。」
 一人々々ぺこ/\とお礼を言ひます。そのうちに一人の立派な服を着た人が、その中から進み出て、丁寧にお辞儀をいたしました。
「私《わたし》は、この市《まち》の長をつとめてゐる者のところから参りました。あなたがみんなの難儀をお救ひ下さいましたから、お礼に御馳走《ごちさう》をしたいと申してをります。どうぞおいで下さいませんか。」
 大黒様はポケツトの中から、行くと言ひなさいと、すゝめますから、吉ちやんも、では行きませうといつて、その男に案内さして市長のうちへ行きました。
 市長のうちは大変立派な、大きなお城でした。けれども不思議なことには、何だかごた/\してゐて、吉ちやんをうつちやらかしたまゝ誰も出て来ません。
「大黒様。」
と、吉ちやんはもう何でも大黒様にきゝさへすれば分ると思つてゐます。
「どうしたのでせうね、この騒ぎは。それに、お客様の僕《ぼく》を、誰《だれ》もかまつてくれないぢやありませんか。」
「うん、これか。」
と、大黒様は申しました。
「これはいつもあることなんだ、世界がひつくり返つたときには。――いまに分るよ。」
 言つてゐるうちに、立派な服に、左の腕に黒い布をまいた人が出て来ました。その顔は蒼醒《あをざ》めてをりました。
「私《わたし》が市長でございます。」
と、その人は丁寧にお辞儀をして申しました。
「あなたのお蔭《かげ》で、私《わたし》共の世界が元どほりに、真《まつ》すぐになりましたことは、誠に御礼の申さうやうもないことでございます。で、ほんのお礼のしるしばかりに、宴会を開きましておいでを願つたのでございますが、とんでもな
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