太郎君は目をつぶらうとしましたが、どうしてもつぶれません。鱶との距離、あと三メートル、あと、二メートル、あと一メートル! 今太郎君の生命《いのち》は風前の燈火《ともしび》です!
 と、その頭の中に、海底で鱶に襲はれたときには、すばやく仰向けに泥《どろ》の中に仆《たふ》れ、手足をばた/\させて、そこらを濁してしまへば遁《のが》れることが出来るといふ話を思ひ出しました。
「さうだ。さうしよう!」
 が、ちと遅かつた。今まで、ほんのそろ/\近寄つて来た鱶はこの時、急に勢ひづいて、突進して来ました。そしてその恐しい鼻尖《はなさき》を、ごつん[#「ごつん」に傍点]と潜水兜前面の硝子《がらす》にぶつつけましたから、今太郎君はわツ[#「わツ」に傍点]と叫んで、どつかり尻餅《しりもち》をつき、めくら滅法に大ナイフを振廻しました。
 もツくり! もツくり!
 俄に泥の雲があたりを立てこめて、何もかも見えなくなりました。ちやうど今太郎君がしようとしたことを、鱶が手伝つたやうなものでした。何が幸になるか分りません。
 恐しさに胆《きも》をうばはれた今太郎君は、無我夢中でじたばたするうち、ふと何やら固いものに
前へ 次へ
全16ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮原 晃一郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング