なところもありました。そして時々魚が、まるで鳥のやうに、身のまはりや、頭の上を泳いで通りました。
 今太郎君はお父さんにならつて、持つて来た袋に、真珠貝を拾つては入れました。けれども海の中では、人がとつて来たのを、舟の上や陸で見るやうに、さう、ざうさなくとることは出来ません。なか/\見つけるのが難しくて熟練がいるのでした。
 かうして、毎日のやうに、潜水して貝とりの稽古をしてゐるうち、ある日今太郎君が貝をさがし/\行くうち、ふと、自分から余り遠くないところに大きな岩が丘のやうにつゞいてゐるのを見つけました。
「おや、きれいだ!」
 今太郎君は心のうちで叫びました。岩は下の方が赤紫で、上の方へ行くにつれて乳色をしてゐます。そして赤紫の根本には、大小幾つもの穴が黒々とあいてゐるので、ちよつとお城のやうにも見えました。
「はゝア、これだな潜水夫たちが、竜宮城つていふやつは……」
 今太郎君は珍しいものですから、うか/\その方へ近づいて行きました。傍《そば》へ寄つてみると、その美しいこと。乳色の八つ手の葉をひろげたやうな珊瑚虫《さんごちう》が、べた一面にひろがつて、花の畑を見るやうでした。私共《わたしども》が珊瑚といつて珍重するのはこの動物の骨なのです。
 今太郎君は真珠貝をさがすことも、お父さんとはかなり遠く離れてしまつたことも忘れて、そこに立つてゐるうち、とある大きな岩穴の前に、沢山の蟹《かに》の殻が落ちてゐるのを見つけました。
「おや/\どうしたんだらう。蟹が戦争でもしたのか、こんなに沢山死んでゐる」
 今太郎君が不審をいだいて、その方へもつと近づいて行きかけたとき、忽《たちま》ち大きな穴の中から、真つ黒な雲がもく/\と湧出して、あたりは夜のやうに暗くなりました。


    三

「あツ、しまつた!」
 今太郎《いまたらう》君は我知らず、かう叫びました。それは、かね/″\潜水夫たちに聞いてゐた、海の底に住むいろ/\の怪物のうちで、一番|恐《こわ》がられてゐる大蛸《おほだこ》の仕業と分つたからです。沢山の蟹《かに》の殻は、そ奴《やつ》が今まで餌食《ゑじき》にしてゐたものだつたのです。
 蛸は敵にあつてにげるときや、大きな獲物を襲ふときには、口から墨汁《すみ》をふいて、あたりを真つ暗にする習慣をもつてゐます。つまり、我々が戦争をするとき、煙幕を張ると同じわけです。ですから、今太郎君はきつと自分が襲はれるものと思つて、早く逃げようとしましたが、真つ暗なので、どつちへ行つていゝか分りません。その上に、重い潜水服を着てゐるのですから、自由もきゝません。仕方がないから、貝入袋《かひいれぶくろ》の中から、護身用の大ナイフを手早く取出して、蛸が手をかけたら、ぶつぶつ切つてしまはうと待つてゐました。
 ところが何事もありません。はて不思議と怪しんでゐるうち、墨汁《すみ》で濁つた水もやう/\澄んで、あたりが見えるやうになると、二度びつくりしました。
 六メートルばかり前の岩穴の前に、雨傘《あまがさ》ほども頭があるすばらしい大きな蛸が、錨《いかり》の鎖にも似た、疣《いぼ》だらけの手を四本岩にかけて、残りの四本で何やら妙な大きな魚のやうなものを押へてゐます。しかし、押へてゐるだけで、すぐ喰《く》はうとはしません。
 今太郎君は蛸が自分にかゝつて来たのでない事を知ると、やつと安心して先程恐かつたことも忘れ、面白さうに、その場の成行をじつと見てゐました。
 蛸がすぐに喰《くひ》つかないのも道理で、その捕へてゐるのは、蛸にとつては恐しい大敵の海豚《いるか》だつたのです。だから大蛸は海豚が案外やす/\と押へられはしたものの、うかつにそばへは寄りつけないから、その大きな目をむいてじつと隙《すき》を狙《ねら》つてゐる、すると又、海豚の方では、不意を打たれて、幾分か自由を失つてはゐるものゝ、それぐらゐで閉口するやうな弱虫でないから、おとなしいやうなふりをして、実はじつと、蛸の様子をうかゞつてゐるのでした。
 と、たちまち、どんな隙を見つけ出したか、大蛸はその尖《とが》つた口を、まるで電光のやうな速さで、海豚の胸の真つ只中《ただなか》に、ぐさりと一突き!
「あツやられた!」
 今太郎君は自分がやられたものゝやうに、思はず大きな声を出しました。
 しかし、海豚はそれを待つてゐたのです。とつさに身をかはしたが早いかあべこべに敵の頭の下を狙つて、ぱくりと、喰《く》ひつきました。
 蛸やいか[#「いか」に傍点]は、手なんか二本や三本切つたところでびくともしませんが、その目のあるところは、人間で言へば首に当る大事な箇所ですから、こゝをやられたら、どんな奴《やつ》でもかなひません。海豚は自然に、それを知つてゐるのです。
 急所をやられて、さすがの怪物の大蛸も、とう/\参つてしま
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