手がさはりました。すると不思議です。海の底が、ゆらゆらと地震のやうに揺出《ゆれだ》したので、ます/\驚いて、急いでその固いものを一方の手でつかみ、もう一方の手で、烈《はげ》しく生命綱を引きましたから、船の方では、ぐん/\引上げにかゝりました。
 ところが又、更に不思議なことには、海の底がつかんでゐる岩ぐるみ、今太郎君を載せるやうにしてずん/\上がつて行くのでした。だから今太郎君はいよ/\胆をつぶして、思はず、
「助けてくれ! 助けてくれ!」
と、叫びますと、耳ががん/\鳴つて、目がくら/\して、気が遠くなつてしまひました。


    五

「今太郎《いまたらう》、おい今太郎、しつかりしなさい。お父さんだよ、分るか」
 やがて、こんな声が聞えました。今太郎君ははツと気がついてみると、いつか知ら、自分はもう海の中にはゐないで、病院の寝台の上にねてゐました。
 今太郎君はそれから鱶《ふか》に出あつた話をくはしく物語りました。
「ほゝう、それで分つた。おまへが引上げられた時、すばらしい大海亀をつかんで浮いて来たんだよ。みんな大騒ぎをして捕へようとしたが、水面まで来た時おまへの手が離れたので、そのまゝ沈んでしまつた。考へてみると、あの海亀のおかげで、おまへは鱶の顎《あご》をのがれることが出来たのだ」
と、お父さんがいひました。
 今太郎君が鱶に突かれて尻餅《しりもち》をついたのは、ちやうどそこにゐた海亀の背の上だつたのです。だから、海の底が動くと思つたわけです。そして、今太郎君は気絶した後も、亀の甲羅《かうら》をしつかりつかんで放さなかつたので、とうとう水面まで一緒に浮上つて来たのでした。
 これだけの話をお父さんに聞かされたとき、今太郎君は不思議さうにきゝました。
「ぢや、去年|僕《ぼく》が助けてやつた亀が、今度は僕を助けてくれたんでせうか」
「さアどうだらうかね」と、お父さんは笑つて言ひました。「去年の亀はチヤブ台ほどの大きさで、今年のは貨物自動車ほどもあつたからね」
「去年のが、そんなに大きくなつたのではないでせうか」
「いや、海亀は僅《わづ》か一年ばかりのうちにそんなに大きくなるものぢやないよ」
「それぢや、きつと去年の亀の親でせう」
「ハハハ、成程、子が受けた恩を、親がかはつて返したつてわけか。或《あるひ》はさうかも知れないね。実際、あの亀がお前を背に乗せて、水面まで上がつたからこそ、下から鱶に襲はれないですんだのだ。いつてみりやあの亀は身を以《もつ》て、鱶からお前を護《まも》つてくれたんだ。お前の生命《いのち》を救つてくれたのさね。去年の亀の親かも知れない。或は親の又親ぐらゐかも知れんよ。何しろ大きな亀だつたからね。百年以上の歳《とし》をとつてゐたらう。親にしろ親の親にしろ、お前が善いことをした酬《むく》ひは、ひとりでに来たわけだ。亀も始終海の底を歩いてゐるから、いつてみりや、あれも一種の潜水夫で、我々のお仲間さ。別に害をしないものだから、こつちからもひどいことをしないがいゝ。そしたら先方でも、今度のやうな善い事をしてもくれようからな」
     ×          ×
 今太郎君はその後お父さん以上の名潜水夫となつて、南洋の海底に活躍してゐます。



底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「新しい童話 五年生」金の星社
   1935(昭和10)年8月
初出:「少年倶楽部」講談社
   1932(昭和7)年7月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2006年3月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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