さと》へ帰りたい一念は押へきれず、只《ただ》ひとり、ヒラリ/\と天をさして昇りました。
四
昨日と経《た》ち今日と過ぎ、忽《たちま》ち三四年経つてしまひました。けれども明暮《あけくれ》子良《しりやう》がどんなに待つても天人の母は帰つて来ません。どうなつたものやら風の便りすらないのでした。
子良はもう立派な漁夫《れふし》の少年です。親父《おやぢ》の伯良《はくりやう》を扶《たす》けて漁に出ます。けれども母のことばかり考へてゐました。子良の幼ない記憶に残る母は鼻の高い、色の真白《まつしろ》な、せいの高い美しい人でした。子良はその母が目について忘れられないのでした。
「お前が天《あめ》の羽衣の隠してある処《とこ》を教へたりなんかするから、お母《ふくろ》は去《い》つちまつたんだよ。だが彼《あ》の女は遉《さす》が天の者だけに子供の可愛いことを知らんと見える、人情がないね。」
伯良は子良がぼんやりと外の松の樹《き》の下に立つて母の飛んで行つた空を眺《なが》めてゐるのを見ると、よくこんな愚痴《ぐち》まじりの小言のやうなことを言ひました。
そのうちもう二年経ちました。或《あ》る日矢張松原に出て、空を眺めてゐますと、日のある方から何やら白いものが落ちて来るやうですから「ハテ何だらうか」と、瞳《ひとみ》をこらして見てゐると、それは段々近くなつて一羽の鶴《つる》であることが分りました。するとまたその後から黒い大きなものが降りて来ますから、いよ/\変だと思つてゐると、それは一羽の大鷲《おほわし》で、鶴をめがけて、追うてくるのだと分りました。
鶴は悲しい声を出して、一生懸命に逃げて来ますが、鷲はその強い大きな翼を搏《う》つてすさまじい勢で風をきり、たちまちに追ひ付き、その鋭い爪《つめ》と嘴《くちばし》とで、鶴を突いたり、蹴《け》つたりするので、空は鶴の白い羽がとび散り、まるで雪がふるやうでした。鷲は鶴を引浚《ひきさら》つていくつもりですが、鶴も今は必死ですから、その長い嘴《くちばし》を槍《やり》のやうに使ひ、その羽に力をこめてふせぎながら、隙《すき》があつたら逃げようと、だんだん下へ/\と舞ひ下つて来ました。
子良はそれを見て、鶴がかはいさうになりましたので、どうにかして助けてやらうと思ひ、手に小石を拾つては鷲をめがけて投げつけました。始めのうちは遠いのでなか/\とゞきませんでしたが、だん/\近くなつたので、その石の一つが、まぐれ当りに鷲のからだに当りました。さすがの鷲もそれには少し困つたところを、鶴はす早く逃げて、子良の近くにある小松のしげみに隠れてしまひました。
五
マアよい事をしたと思つて、子良《しりやう》は喜んで家《うち》に帰り誰《たれ》にも言はずにその日も暮れましたので、寝床に入つて眠《ね》ました。
しかし二三時間も経《た》つと、誰やら女の声で御免なさい/\と言つて、雨戸をたゝく者がありますから、目を醒《さ》まして明けてみますと、其処《そこ》に昼間たすけてやつた鶴《つる》が立つてゐました。
「先程はどうも大変な御助けを受けまして何とも御礼の申し様もございません。」と、鶴は丁寧に頭を下げて言ひました。
「実は私《わたし》は貴下のお母様《かあさん》から言ひつかつて、天へお迎へに来ましたが、鷲《わし》の為めにサン/″\羽や身体《からだ》をいためられて、自分だけ低い空をとぶのがやつとでございます。ですから貴下を背負《おんぶ》してあの高い天の御殿などにはもう迚《とて》もいかれませんけれども此儘《このまま》にして置いては私の役目が果せませんから、一つ貴下《あなた》が天に御昇りになれる法をお教へ致します。」
天《あめ》の羽衣もなく、又鶴の背にものらずに天に昇る法といふのは斯《か》うでした。
昔天人が降つて遊んだ松原のあたりに、月のよい夜時々天から大きな釣瓶《つるべ》が繩《なは》をつけて下ろされる、それは天人が風呂をたてる水を汲むのでした。
元から天人|達《たち》は自分で降りて来て美しい景色を眺《なが》めながら、うしほを浴びるのでしたが、伯良《はくりやう》が羽衣を隠してから後危ないから、こんな工合にしてゐるのでした。で、子良はその釣瓶《つるべ》の水をまかして、自分が代りに中に入つて行けばよいといふのでした。
六
子良《しりやう》は今度こそ天にのぼつて、蜃気楼《しんきろう》の御殿を見たり、お母さんに会つたりすることが出来ると、大変|悦《よろこ》んで、或《あ》る月のよく光つた晩、こつそり鶴《つる》が教へた処《ところ》に行き、松の蔭《かげ》に隠れて天から釣瓶《つるべ》の下りてくるのを待つてゐました。
夜もだん/\更けて、月が高く昇り、松に吹く風の音がさえにさえて来ますと、果して空から大きな釣瓶が下り
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