しなかつた。
 魚雷は小さな潜水艦のやうな姿を、甲板の上にあらはした。磨《みが》き上げたその表面は白金のやうに輝いてゐる。敵弾の飛んでくるのはよほど少くなつたが、それでもまだぞく/″\命中する。その中を、中原は必死の覚悟で、水雷発射の準備に夢中になつてゐる。が、熟練した水雷士官でも、これはよほど難しい。それを僅《わづ》か十七歳の少年が、見覚え、聞覚えでやるのだ。成功するか知ら? 危ないものだ!
 いや、しかし、中原の父は魚雷の発射にかけては天才と言はれた人だつた。その子の彼に、この天才が伝はつてゐないとは誰《だれ》が断言出来よう。
「ようし!」
 中原は準備を終つて、すばやく魚雷から飛び下りた。と、下村はすかさず巻揚機《ウインチ》をあやつつて、軽々と吊るした魚雷をそろそろ水面近く下した。中原は舷側《げんそく》に立つて、右の手を上げ、敵艦を睨《にら》んで立つてゐる。息づまるやうな緊張の十数秒だ!
「三千メートル!」
 彼の耳に誰《だれ》やらがさう叫んだやうだつた。彼はさつと、合図の手を振つて叫んだ。
「オーライ!」
 下村は巧みに巻揚機《ウインチ》にはずみをつけて、ざんぶと魚雷を水へ抛《はふ》り込んだ。
「やツ! えらいぞ中原! 出かしたぞ、下村!」
 掌砲長が嬉《うれ》しさうに叫んだ。
 しかし下村も中原も、そんなことはまるで知らないものゝやうに、たゞ一心に魚雷の進行を見つめてゐた。
「うまいぞ! あれを見ろ、下村!」
 中原は今しも百メートルばかり向ふの水面を浅く、大鯨《おほくぢら》のやうに浪《なみ》の畝《うね》を立てて、まつしぐらに敵艦目がけて突進する魚雷を指さした。魚雷は発射されてから、命中するまで、やゝ長い時間がかゝるので、その間に敵が気づいて、艦《ふね》の向《むき》を変へたら、或《あるひ》は外《そ》れるかも知れない。
「気づかないでくれ、気づかないでくれ。」
 二人の少年は一心不乱に神を念じた。一秒、二秒と時が経《た》つて、魚雷は与へられた方向にまつしぐらに飛んで行く。
「あツ、とう/\見つけた!」と、中原が叫んだ。敵艦から海面めがけてパチ/\と小銃や機関銃を放す音が聞えた。
「へツ! 魚雷を撃沈するつもりだな。さうはいかないぞ! ――そら、とうとう艦《ふね》の向を変へたぞ、畜生奴《ちくしやうめ》!」と、下村は残念さうにうなつた。
 が、少し遅かつた。「ウルフ号」がまだ、十分に位置を変へきらないうちに水雷はその後部水線下に命中した。小山のやうな水柱がその大きな半身を包むのが見えると、次いで、海の底で火山でも爆発したやうな物凄《ものすご》い音がとゞろき渡り、約三千メートルの距離にある豊国丸《ほうこくまる》までがビリ/\と震へた。二十一インチの魚雷が「ウルフ号」のどてつ腹をゑぐ[#「ゑぐ」に傍点]つて、大孔《おほあな》をあけたのだつた。
 やがて水煙がをさまつた時には、敵の巨艦は、もう後部甲板まで水にひたつてゐたが、やがてそろ/\と艦首を天に向けて、次第々々に浪の底へ沈んで行つた。後には大きなうづ[#「うづ」に傍点]と、黒豆をぶちまけたやうに、溺《おぼ》れる乗組員の姿が見えた。
「万歳、万歳!」
 豊国丸の船上には素晴しい万歳の叫が起つた。
 下村と中原は感激して、抱き合ひながらおん/\声をあげて泣いた。
 と、その耳にはつきり聞えたのは、船長に代つてこの船の指揮をとる一等運転士の声であつた。
「二番|艙《さう》、三番艙浸水。総員ポンプへ!」
 無線電信室からは救難信号S・O・Sの電波が空中へ散つてゐる。
「伊吹《いぶき》」は全速力で救助に向つてゐることは明らかだ。もう僅《わづ》かな間である。豊国丸はそれまでどうしても浮かんでゐなければならない。
「僕等《ぼくら》もポンプへ行かう!」
「オーライー!」
 下村、中原の両少年は勇躍して、ポンプへ走つた。



底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「新しい童話 五年生」金の星社
   1935(昭和10)年8月
初出:「少年倶楽部」講談社
   1933(昭和8)年2月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2006年3月21日作成
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